『未来は音楽が連れてくる』〜日本が気づかないソーシャルミュージックの大席巻

連載第46回 スティーブ・ジョブズが世界の音楽産業にもたらしたもの(2)〜iTunesとミュージックマンたち


連載第46回「スティーブ・ジョブズが世界の音楽産業にもたらしたもの(2)〜iTunesとミュージックマンたち」
▲iTunesのビデオ・レンタルを発表するジョブズ。Apple追放後、Pixer社を経営していた時代にディズニー社と渡り合い、コンテンツ業界のタフな交渉を学んだ。その経験があったからこそ、メジャーレーベルのCEOたちとの交渉をリードし、iTunesミュージック・ストアをまとめ上げることができた。
Image : Flickr. Some rights reserved by Tom Coates

はじめ、iPodは理解されなかった

レコード産業は、インターネットの普及でイノヴェーションのジレンマに陥った。一方、どん底から復活したジョブズはジレンマを克服する英知を、自身とAppleの失敗から学び取っていた。

禅の世界では、悟りは智慧をもたらし、智慧は苦しみの連鎖から自他を救うと云う。ジョブズは乙川弘文禅師を私淑していた。癇癪持ちだった彼が心の平安をマスターしていたようには思えないが、自身を復活へ導いた英知が、Appleをイノヴェーションのジレンマから救い出したことは間違い無かった(連載第45回)。

その英知は、iPodの開発プロセスに結晶していた。珠玉の光彩はやがて増幅し、Napster(連載第42回)の興した嵐に漂流するメジャーレーベルにとっても、一筋の光明となっていく。

歴史の石版には、iPodの名はすでに刻み込まれている。だがジョブズがAppleキャンパスでiPodを発表した時、人びとの反応は決してよいものとは呼べなかった。壇上のジョブズがポケットからiPodを取り出した時、あまりに予想外だったMP3プレイヤーの登場に講堂は静まり返った。当時、MP3プレイヤーといえばRioだったが、MP3プレイヤーには微妙な印象しかなかった。

Appleコンピュータが音楽に乗り出す? 唐突過ぎてよくわからない。好きなことをやるのが一番だからだ、と説明したジョブズは、ビジネス上の理由も添えた。

「もっと重要なのは、音楽はみんなの生活の一部になっている点だ。みんなのだよ」

記者たちの脳裏には、Appleが失敗したPDA(Newton)やデジカメ(QuickTake)が過っていただろう。Playstation以前、Sonyがコンピュータ関連で上手くいった試しがなかったように(連載第41回)、デジタル・ガジェットの世界でAppleがうまくいった試しが無かった。

「最高にクールな点は、音楽ライブラリをポケットに持ち運べることだね。これは本当の本当に、大きなブレイクスルーなんだ」

プレゼンテーションするジョブズの映像が残っているが、報道陣がポカンとした顔を並べている(※1)。自慢のおもちゃを見せびらかすように、ジョブズは嬉しそうにデモを進めていく。サラ・マクラクランの『Building A Mystery』が、iPodが公で初めて鳴らした音楽だった。

「世界中の文字に対応している」

液晶パネルに「宇多田ヒカル」という日本の文字が並ぶ。

「日本の曲をかけてみよう」

スクロール後、サザンオールスターズの『忘れられたBig Wave』がAppleキャンパスの講堂にゆったりと広がった。

「5GBのハードディスク、Firewire、10時間持つバッテリー、1000曲がポケットに入る。これで$399(約4万円)だ」

他社製品の倍近い値段だった。決め台詞に拍手は起こらなかった。

CMのパイロット版がお披露目されると、ようやく気持ちの入った拍手が起こった。イメージがやっとついたのだろう。記者たちを責めることはできない。「音楽を全部持ち歩ける」ということが、どういうことなのか。人類はまだ体験したことがなかった。

Walkmanが登場した時もそうだった。

製品発表の会場からバスに乗せられ、代々木公園に到着した記者たちは、ヘッドフォンを付けてローラースケートを乗り回す学生たちに唖然とした。ヘッドホンで好きな音楽をいつでも、どこでも、好きな場所で聴く。人類の新しい生活スタイルを描いたその風景は、あまりに新しすぎた(連載第38回)。

Walkman発表の翌日。メディアは話題にしなかった。

Sonyの広報は、とにかく街中で使ってもらえる人を創ることにした。やがてヘッドフォンをつけるアイドルを雑誌で見たり、街中で黒いケーブルを耳から垂らすおしゃれな若者を見て、「あれはなんのなのか」と感じる人たちが口コミを起こし始めた。

iPodの場合、メディアは無視しなかったが、反応が微妙だった。

「オート・シンクやスクロール・ホイールといったiPodならではの特徴は、携帯型音楽プレーヤに対するマスコミの先入観にかき消されてしまった。『デザインに凝ったMP3プレーヤー』というのが、大方の見方だった」

日経エレクトロニクスのシリコン・バレー駐在員だったフィル・キーズは、そう回顧している(※3)。

「何事でも完全に咀嚼するには、情熱を持って傾倒する必要があるんだ。ざっと眺めるだけではダメだ。でも、それだけの時間をかけない人が多いのさ」

ジョブズはそう語ったことがある(※3)。仕事に追われる記者だけに限った話ではない。読者の多数派は今なら短いつぶやき、短いまとめ記事を頼りにしているし、企業の取締役たちも1枚のエグゼクティブ・サマリーでトレンドを把握しようとする。

皮肉なことに、新しい現実を即座に理解できるのは、惜しみない情熱をもって世界を理解しようとする人間だけらしい。少数派の彼らだけが、新しい現実を創造する資格を手に入れている。

iPodの発売時期は、景気的にも最悪の時期だった。この年、ITバブルは崩壊した。Napsterが敗訴して、学生層に横溢していたデジタル音楽革命の熱も急速にしぼみこんでいた(連載第44回)。発売の前月にはアメリカで同時多発テロが発生。大恐慌以来の重苦しい雰囲気に、アメリカは包まれた。

こんな時期に、だれがメディアに不評な新製品を買うのだろうか。

幸運なことにAppleには、熱狂的なMacファンがいた。ジョブズの作品がどうやって「世界を変える」のか。Think Differentキャンペーンの号令で再集結した彼らは、割高感のあるこの不思議なmp3プレイヤーを購入し、体験して理解しようとしてくれた。

iPodはその年の残り2ヶ月で12万5000台、売れた(※4)。iMacの登場に比べれば慎ましやかな数字だった。しかしこの12万5千人が、かけがえのないインフルエンサーとなってくれた。

街中でおしゃれな人たちが、白いケーブルを耳から垂らしている。いったいあれは何?

Macのコア・ユーザーは学生のほかに音楽、デザイン、映像を生業とする人たちだ。ファッションを愛する層とも重なっていた。

現在、ユニバーサル・レコード傘下のインタースコープ社がこれを踏襲している。同社が起業したビーツ・ヘッドフォンのことだ。ヒップなファッションの若者が、赤いケーブルを耳から垂らして街を闊歩している。

ビル・ゲイツは決してファッショナブルな人ではないが、ジョブズの製品を全的に理解する情熱を持っていた。最大の好敵手だったからだ。テック・ジャーナリストの重鎮スティーヴン・レヴィが、ゲイツと食事をしたときのことだ。「これはもうご覧になりましたか」と新製品のiPodを机に置いた。

「ゲイツはこの時点で、自分だけの境地に入り込んでしまった」とレヴィは書き残している(※5)。何分間も無言のままiPodを触り倒した。かなり経ってから、「素晴らしいプロダクトだ」とひとりごちた。

iPod誕生から2ヶ月後。クリスマスの頃だ。

ミュージシャン、レコーディング・エンジニア、プロデューサーで構成された米レコーディング・アカデミーはAppleにグラミー賞を送ることを決めた。音楽の世界では、コンテンツとハードは両輪だ。ミュージシャンたちは、Walkman以来の革命的ハードとiPodを見做したのだ。

海を超えた先でもiPodはミュージシャンに賞賛された。「どれだほどの情熱と時間、そして愛がこれに注がれたか、よくわかる」とSealは語っている(※6)。テクノロジー好きのミュージシャンは少なくない。概してテクノロジーは音楽に貢献してくれるものだ。

印刷がクラシックの職業作曲家を創り、ジャズ時代には、レコードが音楽の産業化を進めた。その後もテクノロジーは音楽コンテンツに変革をもたらした。エレキ・ギターとロック。ドラムマシンとクラブ・ミュージック。サンプラーとヒップ・ホップ。これからも新しい技術が新しい音楽を創るだろう。

テクノロジーが音楽に初めて猛威を振るったのは、ラジオだった。「無料で音楽が聴き放題」のインパクトは巨大で、普及時、米レコード産業を壊滅に追いやった(連載第36回)。

それから70年。ファイル共有技術の席巻で、ふたたびテクノロジーは音楽産業に牙を向いていた。新しい音楽生活のスタイルを提示したiPodは、音楽産業にとって久々の明るい話題だった。

※1 http://youtu.be/AAU5lY4oxeU
※2 日経エレクトロニクス『iPadの開発』第7話 http://tech-on.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20080710/154604/?P=3&ST=nedpc
※3 Wired特別保存号『WIRED X STEVE』 p.107
※4 Discovery Channel 『アップル再生 iPodの挑戦』 21:30
※5 『iPodは何を変えたのか』第3章
※6 『iCon』第11章


セレンディピティ。iPodのもたらした音楽生活の変化(1)


▲John Mayer - Bigger Than My Body (2003)。メイヤーは、ジョブズがお気に入りの新人ミュージシャンだった。現世代、最高のギタリストでもある。ジョブズはたびたび家庭に招待しただけでなく、Appleイベントにゲスト・アクトをしばしば依頼した。初代iPodのヘヴィーユーザーで、「ぼくらは飛ばし聴き時代のまっただ中にいる」とシャッフル機能を賞賛した。

「こんなに音楽に夢中になったのは17歳のとき以来だよ!」

映画『ハリー・ポッター』のシリーズに出演したデヴィット・シューリスは、撮影現場でインタビューを受けた際、映画の話題はそっちのけでiPodについてまくしたてた(※1)。

「次に何がかかるのか予想もつかないんだ。午後はずっと、ここで音楽を聴いてたよ。21世紀最高の発明だと思うね」

iPodはその後、社会現象になっていくが、シューリスの台詞はiPodが創りだした熱狂の本質を表現していた。Napsterは音楽の流通を破壊したが、iPodが破壊をもたらしたのは音楽の聴き方だった。

「私は未来を見た。その未来とはシャッフルだ」

『ニューヨーカー』誌の音楽欄を担当していたアレックス・ロスは、記事の冒頭でそう切り出した(※2)。iPodにお気に入りの音楽を何千曲も詰め込んだ後は、シャッフルを押す。何がかかるか、予想もつかない。これが、CDプレイヤーでは実現できない驚きと感動を創っていた。

予定調和が、これまでの音楽生活だった。

お気に入りのアルバムやミックスであっても、いずれ倦んでくる。CDアルバムを聴くか、Mixテープを楽しむか。いずれも次に何がかかるか、リスナーは承知済みだった。CDのシャッフルがほとんど使われなかったのは、次に何がかかるのか予想の範囲内だったからだ。iPodは、予定調和の世界を破壊していた。

セレンディピティということばがある。

偶然、新しい感動を発見する能力を指す。FacebookとTwitterが普及して以降、セレンディピティの演出はウェブ・プロモーションの大切な指針となった。

Walkmanの後継者、iPodの功績は音楽の世界でセレンディピティを広げたことだ。

「これは、音楽と出会う方法として革新的で比類ないものだ」

"iPod教授"のマイケル・ブル博士は、調査結果をWired誌にそう語った。博士の調査では、大多数のユーザーがシャッフルを利用していた。4人に1人は、アルバムやプレイリストではなく、シャッフル機能をメインにして音楽を聴いていた(※3)。

「一直線の音楽体験はもう過去のものになった。僕らは、飛ばし聴き時代のまっただ中にいるんだ」

初代iPodのヘヴィーユーザーとなったジョン・メイヤーはそう語った(※4)。メイヤーはジョブズのお気に入りの新人ミュージシャンで、家庭に度々招待していた。Appleイベントでも繰り返しゲスト・アクトに呼んでいる。若き才能に、プロデューサー魂が抑えられなかったのだろう。

インターネットの普及は音楽コレクションを管理不能な楽曲数にしつつあった。Napsterの登場で、学生たちも1000曲以上を持っているのが当たり前となっていた。

「音楽コレクションは、喜びの種があちこちに隠れている宝の山になった。iPodの魔法のような力が、宝の存在をユーザーに気付かせてくれるからだ」

忘れ去られた情報は死んだに等しい。ネットのもたらした情報の氾濫は、「アクセスされない情報をいかに復活させるか」というテーマをもたらした。その答えがGoogleの検索エンジンであったり、Amazonのレコメンデーションだった。音楽ではiPodのオートシンクとシャッフル機能がその嚆矢となった。

もう一人の専門家、マルクス・ギースラー助教授は語る(※5)。

「シャッフルモードはもともと斬新な仕掛けに過ぎなかった。それが今では、そうしなければ失われかねない情報にアクセスするための最も有効な方法になっている。消費の複雑さを軽減するサイボーグ消費の戦略だ」

どのアルバムを聴いたらいいか、どういうプレイリストをつくればいいか。ふつうの音楽ファンには収集がつかなくなったとき、登場したのがiPodだった。

パソコンに繋げば、iTunesが適度にiPodの中身を入れ変えてくれる。あとはシャッフルで聴くだけ。ジョブズの考案したシンプルなオートシンク機能は、音楽生活を自動化して、人びとの音楽生活が抱えていた問題をエレガントに解決してみせたのだ。

iPodはもはや「最高のマイ・ラジオ」でもあった。

なにせ自分の買った好きな音楽だけが数千曲、詰まっているのだ。ペットのようにiPodに愛着するファンが続出した。iLoungeには世界中からiPodのおでかけ写真が集まった(※6)。

シャッフルはいわばじぶんだけのDJだった。時を待たず、それはGeniusやPandoraのような楽曲レコメンデーション・エンジンの登場に連なってゆく。

iPodの登場から3年後、音楽放送に革命が起きる。PandoraやLast.fmのようなパーソナライズド放送の誕生だ。iPodのもたらした音楽生活は、新しい放送の元型にもなった訳である。

「iPodは流行りものじゃない。音楽の聴き方を革命的に変えたんだ」

ジョブズは報道陣にそう宣言したが、真実だった。

その後、iPodはイベントのあり方、音楽放送のあり方にまで影響してゆく。なかんづく音楽の消費スタイルを変えたことは、音楽の販売方法にも、大変革を促すことになった。

iTunes Musicストアの登場だ。

※1 Stephen Levy "The Perfect Thing" chapter : Identity
※2 http://www.therestisnoise.com/2004/05/more_to_come_6.html
※3 Stephen Levy "The Perfect Thing" chapter : Download
※4 Wired 2004年8月10日 http://bit.ly/1lwamVz
※5 Wired 2005年2月2日 http://bit.ly/1dlP2Ir
※6 http://www.ilounge.com/index.php/gallery/iatw/


一体型サービスだけが出来る一元管理

年が明けて2002年の1月。

ジョブズのもとにワーナー・ミュージックの副社長(VP)がやってきた。

レコード産業は団結して、コピー防止規格を制定しようとしていた。iPodで音楽の世界に参入したAppleに賛同を貰いにきたのだ。アイザックソンの著した伝記文学の傑作『スティーブ・ジョブズ』を読んだ方なら、この時のシーンが印象に残っているかと思う。

「あほばっかりだな」

とジョブズは音楽業界の取り組みをばっさりと切り捨てた。その切っ先には、先月メジャーレーベルが鳴り物入りで始めた定額制ストリーミングのことも含まれていたろう。

レコード産業はふたつの陣営に分裂。Press Play陣営とMusic Net陣営はたがいに音楽カタログを融通しあうことはなかった。新譜もほとんどない。加えてサービスの使い勝手は最悪で、何から何までジョブズの美意識を逆撫でする出来だった。

「そのとおりだ。なにをどうしたらいいのかわからない。だから手伝ってほしい」

風邪をひいていたヴィディックは絞り出すように嘆願した。相手を怒らせて本音を引き出す。ジョブズのよくやる手だったが、この時は逆に驚いたという。そして、こういう時の彼は誠実になる。ジョブズはレコード産業の提案に賛同を与えた上、じぶんからも、心中に秘したヴィジョンを開陳したらしい(※)。

シンプルでエレガント。禅だ。それがジョブズにとっての正解であり、あるべきサービスの姿だった。

もともと音楽配信をやるつもりはなかったが、できそこないだらけの音楽配信を触るうちに、創作欲が抑えがたくなっていたらしい。じぶんならこう創る。いや、これからの音楽ビジネスはこうあるべきだ。創作欲はいつしか使命感に変わっていった。

2ヶ月後、ヴィディックは上司のロジャー・エイムズを連れて来た。ワーナー・ミュージックのCEO、エイムズはそこでiTunesミュージック・ストアのモックを見た。検索欄にアーティス名を入れる。曲が瞬時にリストされる。クリック一発でダウンロード。

「そうそう、これだよ。これを待っていたんだ」

エイムズはジョブズの顔を見て言った。違法ダウンロードと戦うには、Napsterよりもシンプルでエレガントでなくてはならない。なのに他のダウンロード販売サイトと来たら、まともに検索も出来なければ、ダウンロードまで10ステップ以上の複雑な手順があった。

熱気に当てられたのかもしれない。ワーナー・ミュージックのエイムズは、メジャーレーベルの世界でジョブズの案内役を務めることになる。

ちょうどその頃、米レコード協会(RIAA)のCEO、ヒラリー・ローゼンも同様の答えを模索していた。彼女には急がねばならない事情があった。

RIAAは違法アップロードをする個人の告訴に乗り出していた。合法配信を推し進めるかわりに、違法配信を取り締まる。フェアな考えだ。だが肝心の合法配信が出来損ないだった場合はどうなるか。

火に油を注ぐ事態になる。Press PlayとMusic Netは複雑すぎて使いものにならないという酷評が集まっていた。業界内で合法配信の時代を説いていたローゼンは立つ瀬がなくなった。

「ボタンを押すだけで再生できるシンプルな環境を作りたいと考えていました」

ローゼンはインタビューにそう答えている(※3)。ジョブズのアイデアは、音楽配信、iTunes、そしてiPodをエレガントにまとめた一体型サービスだった。

MacがWindowsに負けて以来、ソフトウェアとハードウェアの融合は時代遅れの烙印を押されていたが、それこそレコード産業の求めるかたちだった。音楽配信から再生までが一体なら、インターネット・ユーザーを一元管理できる。

Napsterのもたらした流通破壊で失ったコントロールの手綱を、ふたたび手中に収められるチャンスだった。

※1 アイザックソン『スティーブ・ジョブズ』第30章
※2 Stephen Levy "The Perfect Thing" chapter : Download
※3 『iCon』第11章


1曲99セント。破壊的イノヴェーション

かつてSonyがCDを世界に提案した際、レコード産業から猛反発を受けた。大賀典雄はメジャーレーベルを説得に巡ったが「石もて追われる」有り様だったという(連載第41回)。iTunesミュージック・ストアの立ち上げでも同じようなことが起こった。

とまでは言えないが似たような感じになった。

ジョブズ本人が、メジャーレーベルに乗り込んできた。「経営界のロック・スター」を石もて追うことはできなかったので、CEOがサシで応対することになった。それは、ジョブズが現実歪曲フィールドを発揮する機会を与えた。

エレガントな一体型サービスで一元管理、という彼のアイデアは魅惑的だった。

だが、考えこんでしまう提案がセットになっていた。1曲99セントでアルバムをバラ売りしたい、と言うのだ。経営者としては、YESとはいえない相談だった。アルバム・ビジネスの崩壊を受け入れることになるからだ。

それが経営上、どんな意味合いを持つのか。

「50年代はシングル中心のビジネスだった。本当の意味でアルバムが重要になったのは、60年代中半からだ」

アイランド・レコードの創業者クリス・ブラックウェルは語る(※『Downloaded』20:00-25:00)。ボブ・マーレー、キング・クリムゾン、U2そしてボン・ジョヴィを世に送り出し、その功績でロックの殿堂に入ったミュージックマンだ。

「アーティストにとって、ヒット・シングルはいわばフリー・プロモーションに相当した。シングルは収益源にはなりえなかったからだ」

50年代、ロックンロールと安価なシングルの組み合わせは、レコード産業のマーケットを若年層まで広げてくれた。だが安価なシングルは、制作費・宣伝費の元手を回収しにくい。メジャーレーベルはこれを嫌気し、当時ロックと無縁だったアルバム・ビジネスに拘った。

身軽なインディーズ・レーベルは違った。無料のラジオを活用して安価なシングルをたくさん売り、ライブに集客して稼ぐというモデルを創った。何か直近のことどもが脳裏に過った読者もいらっしゃるだろう。かくてロックの時代は、インディーズから始まることになった(連載第37回)。

60年代に入るとメジャー・アーティストは、アルバムのフォーマットに合った新しいロックを見出した(連載第38回)。アルバムにコンセプトを取り入れ、曲の連なりに物語性を持たせたのだ。メジャーレーベルは、ラジオでシングルを売った後、単価が高く十分な粗利の取れるアルバム・セールスへつなげるようになった。

70年代も後半になると、LPのフォーマットが古くなり、アルバム売上が減少。音楽不況を起こした。

80年代。CDが登場するとアルバム・ビジネスは復活・拡大した。LPの2倍近く曲が入るCDで、アルバムの価格を上げることができたからだ。90年代にはCDアルバムがレコード産業に黄金時代を再来させた(連載第39回)。

弊害も起こった。捨て曲の発生だ。

35分でストーリーを創れる才能をもってしても、70分は難題だった。結果、アルバムを買っても2〜3曲光る歌があれば十分、という妙な常識が出来上がった。消費者からすれば、それなら2〜3曲だけ買わせてもらいたい。ジョブズはそうしろというのだ。

受け入れた場合、どれだけ売上が落ちるだろうか。

計算結果だけ書こう(※)。アルバム・ビジネスが完全に崩壊した場合、売上規模は約4分の1に減る。12.5万枚/CDだった採算ラインは、48万ダウンロード/曲に変化する。

アルバム12.5万枚なら中堅アーティストでも可能だが、シングルを48万以上で3連発というのは売れっ子しかこなせない。レーベルの経営だけでなく、アーティストたちの人生にも大きな影響のある決断だった。

即座にYESといえる話題ではない。1曲99セントは、不思議な破壊的イノヴェーションだった。デジタルの力で、50年代に経験したシングル中心の世界へ戻るのだ。

(※ CDアルバムが16ドルとする。アメリカの流通コストは高いので50%が差っ引かれるとする。レーベルの売上は8ドルだ。アーティストには、その12%[仮]の0.96ドルが入る。

99セント/曲のバラ売りを許可した場合、シングル・カットされる3曲X99セントとする。iTunesの流通コストは30%だから、レーベルの売上は2.08ドルになる。アーティストには、その12%[仮]の0.25ドルが入る。

レーベルの売上は8ドルから2.08ドルに。
アーティストの収入は0.96ドルから0.25ドルになる。

100万ドルをアルバムの予算に使ったとしよう。レコーディングに20万ドル、アーティストへの前払金(アドバンス)に20万ドル、ミュージックビデオ3本に20万ドル、全米ツアー支援に10万ドル、プロモーション費用に30万ドルだ。RIAAの数字を使った(連載第43回)。

CDアルバムなら100万÷8ドルで、12.5万枚でトントン。だが99セント/曲でバラ売りすると、100万÷0.7ドルで、143万ダウンロードでようやく回収できる。シングル・カットの3曲で割ると、一曲あたり47.6万ダウンロードだ)


アルバムの終わり?

ダウンロード販売サイトは前世紀からあった。LiquidやEmusicなどだ。だが、大物アーティストの音楽はほとんど載ってなかった。ジョブズからすれば、そんな「クソ」みたいなミュージック・ストアはありえなかった。

じぶんが創る以上は、完璧な作品を目指す。HMV、タワレコ、Amazonを超える最高のメガストアだ。そのためには、ビッグ・アーティストからひとりひとり許諾をもらう必要があった。大物ほど楽曲の権利をじぶん側に保有しているからだ。

ジョブズだけができて、マイクロソフトのゲイツやインテルのグローブにはできなかったことがある。アーティストに会いに行き、説得することだ。

「アーティストが話をしたいと思うようなCEOはコンピュータ業界にはいませんでしたが、彼は例外でした」

RIAAのローゼンはそう振り返る。カリスマを持っていただけでなく、大の音楽ファンでもあった。そういうのは伝わるものだ。契約金でものをいわす話ではなかった。アーティストには、心を開いてもらう必要があった。創作上の問題があったからだ。

「良いアルバムには流れがあります」

ナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーは、フォーチューン誌にそう切り出した(※1)。

「曲と曲がたがいに支えあう。私はそういうふうに音楽を創りたいんです」

レズナーはそうやって"神アルバム"をものにしてきた。The Fragile、最近ならHegitation Markがそれだろう。

レズナーと同世代のシェリル・クロウは、はやくにジョブズの提案に賛同した一人だった。アルバム制作から解放されるのはミュージシャンにとって救いだし、バラ売りのほうがリスナーも買いやすくなる、とクロウはインタビューに答えた。あっさりしている。

彼女にだって神アルバムはある。当時ならセルフ・タイトルや、C'mon C'monがそうだろう。制作スタイルの違いなのかもしれない。クロウは後に、ジョブズと共に撮った写真でフォーチューン誌のカヴァーを飾ることになる。

才能を取り扱う術にかけては、ジョブズは名人級だった。

ゲイツとの貴重な対談が映像に残っているが、そこで成功の秘訣を問われたジョブズは、こう答えた。まず情熱をもって完璧なプロダクトを目指すこと、次に最高の才能を集めることだと語った (※2)。

別の場所ではこう語っている。コンテンツを理解できる人間は数少なく、なんとしても確保しなければならないが、そういう人材は本当に扱いづらい。それをPixerの運営で学んだ、と。

コンピューティング、映像、デザイン、広告。さまざまな才能と渡り合い、取り込んできた。ジョブズに心を開くアーティストが次々と出てきたのは、彼がプロデューサーの流儀を極めた男だったからかもしれない。

※1 Fortune Magazine 2003.5.12 http://cnnmon.ie/1jegdwS
※2 http://allthingsd.com/20070531/d5-gates-jobs-transcript/


U2とDr.Dre。MTVとiTunes。


▲ Dr. Dreの『Forgot About Dre ft. Eminem, Hittman』(1999)。MTV、Napster、そしてiTunesで大きな関わりをもったヒップホップの帝王だ。ジョブズはヒップホップが苦手だったが、Dreの見出したエミネムの曲はじぶんのiTunesに入れていた。一緒の撮影現場でそれを見たシェリル・クロウが「彼はなかなかの詩人よ」と声をかけると、「ああ、だんだん好きになってきたよ」と答えた(※1)。

テクノロジーのもたらす節目には、決定的な働きをするミュージシャンが登場してきた。CD時代の幕開けを宣言したカラヤン。MTVの立ち上げを助けたミック・ジャガー。Napsterと闘ったメタリカなどがそうだ。

iTunesミュージック・ストアは音楽流通の歴史的な転換となったが、これを助けた象徴的なミュージシャンを挙げるとするなら、Dr.DreとU2でそんなに異論はないように思う。

エミネムやSnoop DoggのメンターにもなっていたDreは、デス・ロウ・レコードの粒ぞろいのカタログを有していた。

開局当初のMTVは、白人ロック一辺倒だったが、Dr.Dreがパーソナリティを務めるプログラムが大人気を博したのを機に、MTVはヒップ・ホップの旺盛なサポーターに変わった(連載第39回)。Napsterが登場した際、Dreはメタリカと共に闘った。そして「ダウンロード」と名の付くものには一切楽曲をライセンスしないと公言していた。勿論、iTunesも例外ではなかった。ヒップ・ホップ界のキーマンが、ダウンロード販売に反対していたのだ。

だからこそ、ジョブズはDreと話をつけたかった。彼はDreをクパチーノに招待した。音楽配信なんて誰もが失敗している、と言うDreに、ジョブズはみずからiTunesミュージック・ストアのデモをやってみせた。

「Man、ようやくちゃんと出来たってわけだ」

Dreは破顔した。初めてまともな音楽配信が誕生しそうだ。ジョブズは数時間に渡って、音楽産業の将来を熱っぽく語った。そしてDreから、iTunesに楽曲を卸す約束を取り付けたのだった(※1)。

ポスト・パンクの旗手としてU2は、MTVと共に時代を駆け上がったが、iTunesにも大きく関わることになる。iPodといえばU2というくらい、その後、両者のイメージは重なり合っていくが、U2も最初はiTunesミュージック・ストアには反対していた。

「コンセプト・アルバムだからバラ売りはやらない」

U2はそう断ってきたのである(※2)。幸いだったのは、U2のメンバーにテクノロジーおたくのギタリスト、ジ・エッジがいたことだ。彼はAppleに強い親近感を持っていた。ミュージシャンなら誰もがMacを使っていることが、功を奏したのだ。

「それでスティーブはボノやエッジとじっくり話し合い、じぶんのアイデアを試させてくれと頼んだんです」

ローゼンは、Discovery Channelで解説した。米レコ協の会長は人気コメンテータの顔を持っていた。Macのシェアはたった5%だ。何かあれば引っ込めてくれたらいい。そういってジョブズはジ・エッジを説得したという。

ボノもジョブズと意気投合し、いつしか家族ぐるみで付き合うようになった。芸術を愛し、求道的で、使命感が強いという点でふたりの人格には響き合うものがあったのだろう。

ジ・エッジと違って、もはやテクノロジーに悲観的な業界人は少なくなかった。彼らは、テクノロジーの結晶であるCDに文化保全を求めるようにして音楽配信に反対していた。

「そういう連中を信じるな。CDじゃ違法ダウンロードと対等に戦えない」

ボノは、ジョブズのようにばっさりと切り捨てた(※3)。

「僕らは音楽産業みたいに未来から逃げるつもりはない。歩み寄ってでっかいキスをしたいんだ」

ボノはSpotifyの時もでっかいキスをしている。iTunesストア誕生から6年後。P2Pストリーミングを駆使したSpotifyがイギリスに上陸するが、新アルバムの『No Line On The Horizon』をSpotifyで独占先行配信。みたび時代を先導した(連載第10回)。

※1 Fortune Magazine 2003.5.12 http://cnnmon.ie/1jegdwS
※2 Discovery Channel 『アップル再生 iPodの挑戦』 21:30
※3 『iPodは何を変えたのか』第5章


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利用者の約7割が「CD / DVDを購入するきっかけになる」と回答 パッケージの価値を高める「プレイパス」サービスが拡大 利用者の約7割が「CD / DVDを購入するきっかけになる」と回答 パッケージの価値を高める「プレイパス」サービスが拡大
CDやDVD/ Blu-ray Discに封入されているパスコードを入力することで、リッピングなしに…

インターネットテレビの視聴“体験”を“習慣”に変える AbemaTV 編成制作局長 藤井琢倫氏 インタビュー インターネットテレビの視聴“体験”を“習慣”に変える AbemaTV 編成制作局長 藤井琢倫氏 インタビュー
2016年4月に開局したインターネットテレビ局「AbemaTV」が11月に1,000万ダウンロードを…

日本初!ダンス・ミュージックの国際カンファレンス&イベント「TOKYO DANCE MUSIC EVENT」開催 日本初!ダンス・ミュージックの国際カンファレンス&イベント「TOKYO DANCE MUSIC EVENT」開催
ダンス・ミュージックに焦点をあてた日本初の国際カンファレンス&イベント「TOKYO DANCE MU…

【13th TIMM】BABYMETAL、スカパラ・・・日本人アーティスト海外公演の舞台裏を語る「キー・プレーヤー:ザ・ブッキング・エージェント」 【13th TIMM】BABYMETAL、スカパラ・・・日本人アーティスト海外公演の舞台裏を語る「キー・プレーヤー:ザ・ブッキング・エージェント」
10月24日〜26日にかけて開催された、日本音楽の海外進出を目的とした国際音楽マーケット「第13回東…

新しい時代を鳴らす楽器クリエイターを輩出したい オリジナル楽器のコンテスト「THE 楽器 DE SHOW!?」が開催 新しい時代を鳴らす楽器クリエイターを輩出したい オリジナル楽器のコンテスト「THE 楽器 DE SHOW!?」が開催
ソニーミュージックによるエンタテインメントの学びの祭典「SONIC ACADEMY FES 2016…

【チケット不正転売問題】「コンサート文化について考え直す岐路に立たされている」 — ACPC会長/ディスクガレージ代表取締役社長 中西健夫氏インタビュー 【チケット不正転売問題】「コンサート文化について考え直す岐路に立たされている」 — ACPC会長/ディスクガレージ代表取締役社長 中西健夫氏インタビュー
8月23日、日本音楽制作者連盟(以下、音制連)、日本音楽事業者協会(以下、音事協)、コンサートプロモ…

多彩なビジネスセミナーで海外進出の糸口をつかむ 「第13回 東京国際ミュージックマーケット(13th TIMM)」10月24日より開催 多彩なビジネスセミナーで海外進出の糸口をつかむ 「第13回 東京国際ミュージックマーケット(13th TIMM)」10月24日より開催
日本音楽の海外進出を目的とした「第13回 東京国際ミュージックマーケット(13th TIMM)」が1…

ニューミドルマン座談会「ナイトエンターテイメント」と「フェス」、注目シーンの最先端から見た、新時代音楽ビジネスの可能性 ニューミドルマン座談会「ナイトエンターテイメント」と「フェス」、注目シーンの最先端から見た、新時代音楽ビジネスの可能性
IT、デジタル化の波は、音楽、エンターテイメントにも訪れている。新しい時代に対応した人材を育成するこ…

バザール12020701【居抜スタジオ】 プロユーススタジオ機材を大放出中!
新商品【居抜スタジオ】が出品されました!NEWマーク画像