『未来は音楽が連れてくる』〜日本が気づかないソーシャルミュージックの大席巻

連載第62回 日本は「次の大物」を創りうるのか〜スティーブ・ジョブズが世界の音楽産業にもたらしたもの(14)


連載第62回 ジョブズは変わった〜スティーブ・ジョブズが世界の音楽産業にもたらしたもの(14)
2012 Some Rights Reserved by Photo Giddy
https://flic.kr/p/b5q7eD


 Spotifyも無事上陸した今、4年前に始めた本連載の真意も改めて言明しておいたほうがよいかもしれない。われわれは定額制配信を超えるものを創りうるのか、ポスト・スマートフォンのかたちを創りうるのか。

 衰退するかにみえるこの国に生きるわれわれは、次の大物(Next Big Thing)を手がけることが出来るのか、という問いだ。

 たいていの物事は脚光を浴びるはるか前から始まっている。消費者は別として、仕掛ける側の人間ならばニュースが流れてから事象をフォローし始めても遅きに失する。

 Spotifyの創業は10年前。定額制配信の誕生は15年前になる。スマートフォンの理想もまた、1972年に天才アラン・ケイの掲げた構想にまで遡る。

 時代を画す何かに衝撃を受けたなら、最善の道は水面下で粛々と、次の大物を狙うことではないだろうか。

 いつの時代も、そんな人間は奇特なのかもしれない。

 だが少なくとも、脚光を浴びた”最先端"を賛美する人々よりも遥かに筆者が親しみを覚えるのはそんな人たちだ。盛田昭夫やスティーブ・ジョブズのような人物像を連載で描いてきたのはそれが理由だ。

 音楽業界人を専らとするこのサイトで、音楽サーヴィスを超えたところまで語らざるをえなかったのにも理由がある。

 三年前、「iPhone、YouTube、PandoraやSpotifyさえも、我々は乗り越えねばならない日が来るだろう。」と書いたが(書籍Part1 最終章)、その時代は筆者の視界に映り始めている。

 イノヴェーション理論を打ち立てた経済学者シュンペーターは言っている。巨大なイノヴェーションを起こす人間の動機は、経済的理由などではなく、ものづくりの欲求あるいは自己表現から来ている、と。

 真のイノヴェーターはフォロワーではない。クリエーターなのだ。

 歴史を画す何かはいかに創りうるのか、ある男が成長し、ことを成し遂げるとはどういうことなのか。次の時代へ向けて、それが知りたいから書いてきた。

 本章をプロローグにして始まるひと連なりの物語が、「Next Big Thing」をこの国から狙う人たちへのささやかな応援歌になってほしいと、ひそかに願っている。

 そこに、日本があったからだ。


ジョブズはどこで変わったのか

 早すぎた晩年、ジョブズはこう漏らしたことがある(※1)。

 「生まれ変わったらピクサーの監督になりたい」

 率直にすぎる彼は、こうしたことで世辞をいう人間ではなかった。彼はよく言っていた。Appleの製品がどんなに素晴らしくとも寿命は3年か5年。最後は埋立地に行く運命にある、だがピクサーが傑作をものすれば、その映画は100年後も生き続ける、と。

 エンターテインメントが専門でない自分が、ピクサーの成功に関わることができて幸福だった…。

 死の迫った2011年の夏の終わり、最後の電話でそう語ったジョブズの声を、エド・キャットムルは忘れることが出来ない。

 没後5年の時を経て、彼の人生を俯瞰できるようになると、その幸福は映画やジョブズ自身のみのものならず、やがて音楽界の幸福にも連なっていったことがわかる。それがこれからピクサーのことについて書く理由だ。

 ジョブズはいつ、史上最高の経営者になったのだろうか?

 初代マックの大赤字にともなう会社追放。そしてネクスト社の倒産危機に至るまで、Apple復帰前のジョブズは経営者失格だった。彼は生まれ変わる機会を、あるとき得たのだ。

 その秘密を、エド・キャットムルは知っている。

 親友として、そしてピクサーの創業者としてキャットムルは26年をジョブズと共にしてきた。それほど長く、彼の近くにいた人間はキャットムルをおいて他にいない。家族ですら…。

 傲岸不遜。人を人とも思わない暴言を吐く、奇行に満ちた天才。

 それが世に知られるジョブズ像だ。若い頃を共にした同僚や恋人たちはそんなエピソードを次々と繰り出す。

 そんなのは全然ちがう、読者の好みに迎合したメディアの偏向だ、そう語るティム・クックやジョナサン・アイブのような少数派もいる。たとえ傲慢に見えてもそれは最高の作品づくりのためであって、ふだんの彼はナイーブで思いやり深かった、と。彼らはApple復帰後、ジョブズと親しくなった。

 ひととなりを知る者の間でも、ジョブズ像が分裂した理由。それをキャットムルは知っている。

 若い頃のジョブズといた人々は、二度といっしょに仕事をしなかった。恋人たちも別れていった。そして、成熟してからできた家族や側近たちは、以前の彼を知らない。

 26年、変容の時期を一緒にいたキャットムルは知っている。

 ジョブズはほんとうに変わったのだ。


※1 Ed Catmull (著), Amy Wallace (著), 石原 薫 (翻訳)訳『ピクサー流 創造するちから』(2014)ダイヤモンド社, 終章 line. 5400


「IT時代」が設計されたのはいつなのか

 シリア移民を拒むトランプ大統領の治世下なら、ジョブズは存在すらできなかったかもしれない。

 1955年。シリアから来た留学生とアメリカ人女性との間に男の子が生まれたが、ふたりは別れざるをえなかった。女性の父つまりスティーブ・ジョブズの祖父が、シリア人イスラム教徒との学生結婚に猛反対したからだ。

 赤ん坊を養子に出した両親は終生これを苦にした。赤ん坊は成人して母を許したが、父のことは許さなかった。だが何故か自分の娘にも同じことをした…。

 1956年。世界で初めてプログラミングできる汎用コンピュータが誕生。辞書には、『人工知能』が掲載された。学会では、人工知能に喧しい時代は60年前にあったのだ。

 1957年。世界初の人工衛星スプートニクが、ソ連の手によって地球の軌道上を回ると時代が一気に加速。ジョブズ家に引き取られた男の子が将来、活躍する舞台が整えられていく。この人工衛星がきっかけで、莫大な国家予算が宇宙科学とコンピュータ科学に流入することとなったからだ。

 ソ連のスプートニク打ち上げにショックを受けたアメリカのアイゼンハワー大統領が、すぐさま巻き返しを図ったのである。そうして生まれたのが航空宇宙局NASAと、高等研究計画局ARPAだ。

 インターネットの基となるARPAネットが誕生した場所である。

 ARPAネットの計画を26歳の若さで手掛けたアイバン・サザランド教授は本物の天才だった。彼が国家予算を携えて大学に下野すると、そこから次々と我々の生活する「今」が50年前に設計されていくことになった。

 マックで完成しiPhoneで万人のものになったGUI、ピクサーで花開いたコンピューターグラフィックス、はてはネクストが実現して今のスマホアプリ全盛の時代を創出したオブジェクト指向プログラミング。

 ジョブズが後に手がける全仕事の基礎は、サザランド教授の伝説的なプログラム、『スケッチパッド』から始まっている。

 最近ようやく音楽業界が注目し出したVRも、その原型は彼の手によるものだ。約50年前、ヘッドマウントディスプレイを装着し、コンピュータの描く仮想現実を体験できるようにしたのは、このサザランド教授だ。

 「ユタ大学の大学院生は、不可能を不可能と思わないところがいい」

 それが大学で教えるサザランド教授の口癖だったという(※1)。才能は才能を呼ぶ。ルネサンスの時代、フィレンツェに偉大なる画家たちが集結したように、サザランド教授の向かったユタ大学には、後に大仕事をする学生たちが集結した。

 GUIを開発したアラン・ケイ。アタリを創業し、ゲームの時代を切り開いたノーラン・ブッシュネル。Adobeの創業でDTPの時代を創ったジョン・ワーノック。ネットスケープ社を創業し、人類の誰もがウェブブラウザを使う時代の鐘を打ち鳴らしたジム・クラーク。

 みな、共通点がある。

 コンピュータとヴィジュアルを組み合わて革新を起こした点、そしてスティーブ・ジョブズの人生に関わった点だ。

 ジョブズはブッシュネルのアタリ社で社員になった。ケイのGUIを見てマッキントッシュを創り、ワーノックのAdobeはDTPのキラーアプリをもたらし、マッキントッシュを成功に導いた。ネットスケープ社の上場は、初代マックだけの一発屋に終わろうとしていたジョブズの社会的復活に関与している。

 この錚々たる学生たちのあいだに、友として、そしてパートナーとしてジョブズと長年過ごすことになるピクサー創業者、エド・キャットムルもいたのである。

※1 キャットムル『ピクサー流 創造するちから』第1章 L.400


才能がないとわかった後


https://www.youtube.com/watch?v=B7p2u_hMqK4
▲ジョナサン・アイブと並びジョブズの親友だった二人、エド・キャットムル(中央 ピクサー創業者)とラリー・エリソン(右 オラクル創業者)。司会のウォルト・モスバーグ(左)も彼の親しい友だった。若い頃、友達のすくなかったジョブズだが、晩年は心を開くのがうまくなり、友人が多かった。

 子供の頃の夢は、ディズニーのアニメーターになることだった。

 『ピーター・パン』のティンカーベルに初恋を患ったキャットムル少年は、部屋に線画台をしつらえて黙々とセル画描きの真似事に没頭していた(※1)。だが高校生にもなると、じぶんには才能がないとわかってきた。なにか大切な絵心が欠けていた。それで憧れのディズニー社に就職する将来を諦めた。

 かわりに得意なことで道を切り開こうと思った。

 数学ができたので大学でコンピューター科学を専攻し、そのまま研究者になるつもりだった。が、大学生になったキャットムルの胸には、クリエーター人生への憧憬がくすぶり続けていた。

 転機を与えてくれたのが、サザランド教授との出会いだ。教授は大学院に来たキャットムルに、発明したものを見せてくれた。モニターにはいくつもの直線が描画され、抽象的な立体が動いている。誕生したばかりのコンピュータ・グラフィック、CGだった。

 CGはアートに見えた。

 同時に、彼の得意とする数学の塊だった。科学とアートの交差点がそこにあった。これを進化させれば、いずれ子供の頃からの夢だったアニメ映画だって創れるかもしれない…。

 キャットムルの胸に炎が灯された。

 彼は研究室に寝泊まりするほど入れあげた。やがて、直線だけの武骨なポリゴンしかなかったCGの世界に、滑らかな質感を持たせることに成功した。学生だった彼の発明したテクスチャマッピングという技術は、今日のゲームやCGアニメに欠かせないものになっている。

 しかし道はふたたび閉ざされてしまった。院を出た後、彼をどの大学も雇ってくれなかったのである。創成期だったCADを重視する航空会社ボーイングが彼を雇ったが、CGでアニメ映画をつくる夢はそのまま潰え去るかに見えた。

※1 キャットムル『ピクサー流 創造するちから』第1章 L.360


じぶんより優秀な人間を雇う

 大学院で創ったとある作品が、キャットムルの夢を救った。

 それは人の手の動きをCGに起こしたものだった。それまで丸か四角しかなかったCGの世界に、3ヶ月近くをかけ初めて生物を再現してみせたのだった。この作品を見た、とある謎めいた富豪A・シュアーが彼をスカウトしてきた。

 NYのロングアイランドに住む、『グレート・ギャツビー』のごとき若い富豪は言った。

 これからコンピュータの時代が来る。僕はコンピュータ時代のディズニーになりたい。僕が監督になるから、君はCGのプロを集めてくれ。金に糸目はつけない…。

 その夢はまさに、キャットムルのそれと重なっていた。

 夢の実現のためだ。全員、じぶんより優秀な人間を雇おう。それでじぶんの地位が脅かされても構わないじゃないか。

 その意気込みで、キャットムルは最高のCG集団を組み上げた。

 結論から言えば、最悪の作品が出来上がってお蔵入りとなった。当然といえば当然だった。監督が素人だから、ストーリーも演出もまるでダメだったのだ。「俺の人生を二年も無駄にしちまった!」とあるスタッフは叫んだ(※1)。

 処女作の出来は最悪だったが、キャットムルのポリシーで最高の専門集団をあつめたことが身を救った。『スター・ウォーズ』を世界的にヒットさせた新進気鋭の監督、ジョージ・ルーカスが彼らの存在を聞きつけたのである。

 キャットムルたちは文字通り雀躍りした。ルーカスは正真正銘の超一流監督だ。彼のもとに行けば、今度こそまともなCGアニメ映画を創れるにちがいない。彼らは示しを合わせ、ひとり、またひとりNYのCG研究所を離職。サンフランシスコ近郊のスカイウォーカーランチで落ち合った。

 だが、そこでも失望が待っていた。

※1 ディヴィッド・A・プライス著 櫻井祐子訳『メイキング・オブ・ピクサー』(2011)早川書房, 第二章 pp.48


ジョブズに出会うまで

 いざ入社してみると、ルーカスにとってCGはコストダウンの道具以上のものではなかった。フィルム一枚一枚に手書きで入れていたライトセーバーや宇宙船の光の効果を、コンピュータで代用しようと考えたのである。

 デモを見せても、ルーカスは『ああ、うん』と言葉を濁すばかりで内心、フルCGは酷い出来だと考えていたようだ。

 CGは現実の模倣のためのものではない。もっとクリエイティブなものだ。それをわかってもらうもらうため、キャットムルたちは奮闘した。ターニングポイントは、ルーカスの会社がVFXを引き受けた『スタートレックⅡ:カーンの逆襲』だった。

 ひとつの星が生成されていく、その様を宇宙船を中心に視点をぐるぐる回して描き出す。実写ではありえない映像を実現したのだった。部屋にやってきて「ものすごいカメラワークだな」とひとこと褒めたルーカスは爾来、CGを多用するようになった。

 が、あくまでそれは実写の映画を補助するためのCGに過ぎなかった…。

 その頃、キャットムルは封筒の裏にある計算をしたためていた(※1)。彼の夢、フルCGでアニメーション映画を創るにはいくらかかるか。計算すると10億ドル以上、当時のレートで約2000億円という天文学的な数字になってしまった。

 だがムーアの法則に基づけば、年々そのコストは半分に下がっていく。割り算を繰り返した結果あと12年、つまり1990年代前半にはふつうの制作予算でフルCGアニメが出来るはずと踏んだ。

 「そもそも最初から、かれらはディズニーになることを目指してた。口を開けばその話ばかりだったよ」

 と、キャットムルの知人は語る(※2)。12年、ルーカスの元で黒子に徹する。そうやってこのCG集団を維持していれば、いずれチャンスはやってくる。そう踏んだのだ。

 その矢先のことだった。

 ボスのルーカスが離婚する関係で、慰謝料のためにキャットムルのCG部門は売却されることになった。おもむろにチームは解散の危機を迎えた。

 そうしてスティーブ・ジョブズに出会った。

※1 アラン・デウッチマン著 大谷和利訳『スティーブ・ジョブズの再臨』(2001)毎日コミュニケーションズ, 第2章 pp.141
※2 プライス『メイキング・オブ・ピクサー』2章 pp.47



ジョブズの第一印象は最悪だった

 大学の先輩だった天才アラン・ケイの紹介で、キャットムルはジョブズと会うことになった。ケイにとっては、ジョブズもキャットムルもかわいい後輩だ。

 「初めて会ったときから気に入っていた」とジョブズは、やがて親友となるキャットムルとの出会いをそう語る(※1)。

 後にそのことを聞いて、キャットムルがさぞかし驚いたろう。なにせ初対面のジョブズは、わざとじぶんを怒らせにかかっているのではないかと思えるひどい態度だった。

 無駄話は一切せず、常人とは別次元の熱っぽさで、マシンガンのように質問を浴びせかけ、スパーリングのように不躾なことばを投げた後、刺すよう眼でこちらをじっと見るのだ。

 正直、苦手なタイプだとキャットムルは思った。

 次に会ったときは、若きジョブズはAppleを辞めていた。人の話を聞かずじぶんの考えを話り続け、途中でキャットムルの方に向いたと思ったら、「君の仕事を僕に譲れ」ととさらりと言い出した。社長の椅子をゆずれという意味だ。「その厚かましさに驚いた」と彼は振り返る(※2)。

 翌日、招待されたのでジョブズの家に行ってみると、やはり君らの部門を買収したいと切り出してきた。Appleに対抗するコンピュータ会社(ネクスト社)をこれから創る。君らのCGツールを、そのキラー・アプリケーションにしたいんだと語った。マックにおけるAdobeのように。

 それは「解散したくないなら『第二のディズニーを創る』という夢を捨てろ」と取引しているのと同義だった。キャットムルは丁重に買収を断った。

 数ヶ月後、また会いたいと言うので会うとジョブズは、君らさえよければルーカスからいつでも買収する用意があるとまた語った。

 ジョブズはキャットムルたちの仕事に心底惚れ込んでいた。ケイの紹介でルーカスのスタジオに訪れたとき、そのCG技術を見て、パロアルト研究所でケイのGUIを見たときと同等の衝撃を受けた。

 彼は終生、アートとテクノロジーの交差点にこだわっていたが、キャットムルたちはその方向では、じぶんの創ったAppleのはるか先に進んでいると感じたのだ。奇跡に近かった。

 キャットムルの率いるCG集団は、コンピュータ科学者でありかつ自由人の群れで、20歳ごろのジョブズのように裸足で歩き回ったり、ヒッピーのような格好をしている者、風呂に入らない者、犬といっしょに仕事をしている者さえいた。職場にはピンク・フロイドやクリーム、あるいはボブ・ディランが大音響で流れていた(※4)。つまりジョブズが好きなタイプの集団だった。

 この奇跡のような集団を霧散させるのは罪ですらある…。後にこの買収が発表されると「気でも狂ったか」と陰口を叩かれたが(※3)、ジョブズはその保護に使命感すら感じていたのだ。

 なによりキャットムルのことが気に入った。

 ジョブズはそれまで相手を怒らせることで人の本質を見抜こうとしてきた。それが若くして成功し、阿諛追従に囲まれた彼なりの処世術だった。金持ちの若造がおべっか使いをそばに置いたら身の破滅に会うし、実際その憂き目にあってしまったと彼は感じているようだった。

 初代マックで犯した数々の誤ち…。彼の激しい気性に立ち向かってでもそれを諌め、説得してくれる強い部下がいたのなら…。

 だから、彼の挑発に立ち向かってこない弱虫は「間抜け」と切り捨ててきた。そういう意味で、何があってもおだやかなキャットムルは、初対面で間抜けに分類されてもおかしくはなかった。

 だがキャットムルは、これまでジョブズが出会ってきたタイプとは異なっていた。何を言っても怒らず沈黙だ。そのままおだやかに話を聞き、おもむろに真を穿つ洞察を述べてくるのだった。

 「沈黙を弱さと勘違いするかもしれない」ジョブズはキャットムルを評する。「でも彼のそれは強さなんだ」(※5)

 キャットムルとの交渉で、最後のひと押しにジョブズはこういった。ルーカスからの買収後、会社を牛耳ると言ったけどそれは取り下げると。

 背に腹は変えられない。他の売却交渉はうまくいってなかった。キャットムルは、ジョブズのあふれんばかりの情熱に賭けてみることにした。

 理解不能な人間なのだけどもその情熱は、彼なりに持っているものづくりの良心が吹き上がっているように思えたからだった。つまり、根っこでじぶんらと同類なのかもしれない、と。

 やがてそれは正しかったことが証明されるのだが、ともかくも買収は成立し、ピクサー社が誕生した。

※1 Brent Schlender, Rick Tetzeli “Becoming Steve Jobs: The Evolution of a Reckless Upstart into a Visionary Leader”(2015), Crown Business, Chapter 7, pp.173
※2 キャットムル『ピクサー流 創造するちから』第2章 L.910
※3 デウッチマン『スティーブ・ジョブズの再臨』二章 pp.162
※4 プライス『メイキング・オブ・ピクサー』二章 pp.44
※5 Brent Schlender, Rick Tetzeli “Becoming Steve Jobs”, Chapter 5, pp.173



ジョブズは、学ぶチャンスを得た

 買収早々、ジョブズは「はやく中心地に引っ越せ」と言ってきた。

 イノヴェーターは、既成の枠組みから外れたがる。J・ルーカスはハリウッドの伝統に巻き込まれることを嫌っていて、スカイウォーカーランチをカルフォルニア州の外れに建てた。その一部門だったピクサーのオフィスは自然と、中心地サンフランシスコの近郊にあるジョブズの家から車で軽く2時間はかかった。

 だがキャットムルたちはなんやかんやと理由をつけて、引っ越しをせずにいた。そうすればジョブズが会社に来て荒らし回ることは減るだろうと考えたのだ。

 実際、ジョブズが来るとたいへんなことになった。

 会議に入るやメンツを見回して、こいつはできる、こいつは間抜けとすぐ色分けしてしまう。間抜けと決めた相手には容赦ない言葉を浴びせかけ、当然相手は気分を害するのだが、キャットムルによると「ときどき『なんであいつは怒ってるんだ?』ときいてくることがあった」という体で、人の気持がまるでわかってないのだ(※1)。

 キャットムルの作戦はうまくいった。

 すぐにネクスト社の経営で忙しくなったジョブズは、自宅から遠いピクサーには年に一度ぐらいしか来なくなり、ときどき電話をかけてくるだけになった。「集中」がジョブズの哲学だから、ライフワークであるコンピュータの製作に直接関わりのないピクサーの扱いは、それくらいで丁度よかったのだ。

 後に、ネクストよりもピクサーに個人資産のほとんどを注いでいる矛盾にジョブズは悩むのだが、当時の彼は知る由もない。

 とまれ距離の関係でピクサーをほとんど野放しにしたことは、すべての仕事を細かく管理せずにはいられなかった完璧主義のジョブズに、得難い学びの機会を与えることになった。

 ジョブズがクリエーター陣から学ぶ機会を得たことは、巡り巡って、今起きている音楽産業の歴史的転換につながっていくのである。

 彼の教材となったピクサーは、日本から学んでいた(続く)。

※1 Brent Schlender, Rick Tetzeli “Becoming Steve Jobs”, Chapter 5, pp.136

>> [TOPへ]


●次回は<2017年3月6日>更新予定!
【連載第63回「ジョブズが日本とクリエイターから学んだこと〜ジョブズが世界の音楽産業にもたらしたもの(15)」】


矢印(赤)バックナンバー
榎本幹朗氏著者プロフィール
榎本 幹朗(えのもと・みきろう)

1974年、東京都生まれ。上智大学英文科出身。大学在学中から映像、音楽、ウェブ制作の仕事を始める。2000年、スペースシャワーネットワークの子会社ビートリップに入社し、放送とウェブに同時送信する音楽番組の編成・制作ディレクターに。ストリーミングの専門家となる。2003年、ぴあに入社。同社モバイル・メディア事業の運営を経て現在は独立。作家活動とともに、音楽メディア・音楽配信・音楽ハードの戦略策定やサービス設計を専門とするコンサルタントとして活動中。京都精華大学非常勤講師。東京都、自由が丘在住。本連載を書籍化した全六巻の大作「未来は音楽が連れてくる」( http://otocoto.jp/otobon/mirai.html )の刊行が始まっている。
Facebook:http://www.facebook.com/mikyenomoto
Twitter:http://twitter.com/miky_e



「未来は音楽が連れてくる」電子書籍 第2巻
特別連載企画『未来は音楽が連れてくる』榎本幹朗氏 NEWマーク画像【音楽業界関係者必見!】
日本の音楽産業は鎖国状態?
世界の最新音楽ビジネスモデルを分析した特別連載特集。

連載第62回 日本は「次の大物」を創りうるのか〜スティーブ・ジョブズが世界の音楽産業にもたらしたもの(14) <11/30 更新!>

独立系レーベルの楽曲をメジャーと同等の条件で世界に配信 デジタル・ライツ・エージェンシー「マーリン」インタビュー
世界中の独立系レーベルのデジタル権利を支援する団体マーリンの日本オフィスであるマーリンジャパン…

「歌詞を味わう」体験をアップデートする 〜歌詞が浮き出る革新的スピーカー『Lyric speaker』インタビュー
音楽と同期して歌詞が表示される次世代型スピーカー『Lyric speaker』が各所から注目を集めて…

「音楽オタク」としてファンの望む音楽映像を届け続ける WOWOW 取締役コンテンツ本部長 山下浩志郎氏インタビュー
開局当初よりビックアーティストからマニアックなアーティストまで、硬軟入り交じった番組プログラムで、音…

【後半】『ニッポンの編曲家』出版記念インタビュー スタジオ・ミュージシャンの生演奏の素晴らしさを伝えたい 梶田昌史
70〜80年代の活気に満ち溢れたレコーディング・スタジオで音と格闘を続けていた編曲家に焦点を絞り、た…

【前半】『ニッポンの編曲家』出版記念インタビュー「熱い音楽をどうやって作っていくか」川瀬泰雄×吉田格
70〜80年代の活気に満ち溢れたレコーディング・スタジオで音と格闘を続けていた編曲家に焦点を絞り、た…

日本人として世界で戦うハイブリット企業 ディグズ・グループ 代表取締役 工藤与明 × 音楽プロデューサー 今井大介 対談
STY(エス・ティ・ワイ)、HIROを筆頭に次世代クリエイターが数多く所属するクリエイティブ・チーム…

世界のトップ・アーティストが指名するマスタリング・エンジニア ー メトロポリス・スタジオのスチュアート・ホークスに会ってきた
過去25年間におよぶマスタリング・エンジニアとしての経験とノウハウを持って、無名の新人からトップ・ア…

【後半】新たな音楽&才能との出会いは一種の“麻薬”である
モダンフォークカルテット、ソロとアーティスト活動を通じて、60年代後半のアメリカを“実体験”した麻田…

利用者の約7割が「CD / DVDを購入するきっかけになる」と回答 パッケージの価値を高める「プレイパス」サービスが拡大 利用者の約7割が「CD / DVDを購入するきっかけになる」と回答 パッケージの価値を高める「プレイパス」サービスが拡大
CDやDVD/ Blu-ray Discに封入されているパスコードを入力することで、リッピングなしに…

インターネットテレビの視聴“体験”を“習慣”に変える AbemaTV 編成制作局長 藤井琢倫氏 インタビュー インターネットテレビの視聴“体験”を“習慣”に変える AbemaTV 編成制作局長 藤井琢倫氏 インタビュー
2016年4月に開局したインターネットテレビ局「AbemaTV」が11月に1,000万ダウンロードを…

日本初!ダンス・ミュージックの国際カンファレンス&イベント「TOKYO DANCE MUSIC EVENT」開催 日本初!ダンス・ミュージックの国際カンファレンス&イベント「TOKYO DANCE MUSIC EVENT」開催
ダンス・ミュージックに焦点をあてた日本初の国際カンファレンス&イベント「TOKYO DANCE MU…

【13th TIMM】BABYMETAL、スカパラ・・・日本人アーティスト海外公演の舞台裏を語る「キー・プレーヤー:ザ・ブッキング・エージェント」 【13th TIMM】BABYMETAL、スカパラ・・・日本人アーティスト海外公演の舞台裏を語る「キー・プレーヤー:ザ・ブッキング・エージェント」
10月24日〜26日にかけて開催された、日本音楽の海外進出を目的とした国際音楽マーケット「第13回東…

新しい時代を鳴らす楽器クリエイターを輩出したい オリジナル楽器のコンテスト「THE 楽器 DE SHOW!?」が開催 新しい時代を鳴らす楽器クリエイターを輩出したい オリジナル楽器のコンテスト「THE 楽器 DE SHOW!?」が開催
ソニーミュージックによるエンタテインメントの学びの祭典「SONIC ACADEMY FES 2016…

【チケット不正転売問題】「コンサート文化について考え直す岐路に立たされている」 — ACPC会長/ディスクガレージ代表取締役社長 中西健夫氏インタビュー 【チケット不正転売問題】「コンサート文化について考え直す岐路に立たされている」 — ACPC会長/ディスクガレージ代表取締役社長 中西健夫氏インタビュー
8月23日、日本音楽制作者連盟(以下、音制連)、日本音楽事業者協会(以下、音事協)、コンサートプロモ…

多彩なビジネスセミナーで海外進出の糸口をつかむ 「第13回 東京国際ミュージックマーケット(13th TIMM)」10月24日より開催 多彩なビジネスセミナーで海外進出の糸口をつかむ 「第13回 東京国際ミュージックマーケット(13th TIMM)」10月24日より開催
日本音楽の海外進出を目的とした「第13回 東京国際ミュージックマーケット(13th TIMM)」が1…

ニューミドルマン座談会「ナイトエンターテイメント」と「フェス」、注目シーンの最先端から見た、新時代音楽ビジネスの可能性 ニューミドルマン座談会「ナイトエンターテイメント」と「フェス」、注目シーンの最先端から見た、新時代音楽ビジネスの可能性
IT、デジタル化の波は、音楽、エンターテイメントにも訪れている。新しい時代に対応した人材を育成するこ…

バザール12020701【居抜スタジオ】 プロユーススタジオ機材を大放出中!
新商品【居抜スタジオ】が出品されました!NEWマーク画像