第127回 大谷 英彦 氏 株式会社ソニー・ミュージックレーベルズ 執行役員

大谷 英彦 氏
株式会社ソニー・ミュージックレーベルズ 執行役員
第127回 大谷 英彦 氏 株式会社ソニー・ミュージックレーベルズ 執行役員
 今回の「Musicman's RELAY」は、(株) LDH取締役副社長 森 雅貴さんからのご紹介で、(株)ソニー・ミュージックレーベルズ 執行役員 大谷英彦さんのご登場です。音楽より美術に興味があった大谷さんは大学卒業後、(株)CBS・ソニーグループ(現・株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント)に入社。約10年間の営業を経て、デフスターレコーズのA&Rプロデューサーとして、CHEMISTRYやAKB48のデビューに関わり、若干35歳で執行役員に。(株)ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ(現・株式会社ソニー・ミュージックレーベルズ ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ)でもJUJU、Flowerなどの多くのヒット曲を送りだしてきました。そんな大谷さんにご自身のキャリアから、レコード会社の今後までお話を伺いました。
[2014年11月19日 / (株)ソニー・ミュージックエンタテインメントにて]
プロフィール
大谷 英彦(おおたに・ひでひこ)
株式会社ソニー・ミュージックレーベルズ 執行役員

昭和43年(1968年)3月21日生まれ
平成 2年(1990年) 4月 (株)CBS・ソニーグループ 入社 営業本部 東京第2営業所営業課
平成 3年(1991年) 4月 社名変更により(株)ソニー・ミュージックエンタテインメント
            同社 仙台営業所、販売推進部SR第一販売推進課 等
平成11年(1999年) 2月 同社 営業グループ販売推進部第1販売推進課 係長
平成12年(2000年) 2月 同社 ソニー・ミュージックディストリビューション第1販売推進部 販売推進課 課長
平成13年(2001年) 2月 同社 デフスターレコーズ A&Rルーム プロデューサー
平成13年(2001年) 4月 (株)デフスターレコーズ A&Rルーム プロデューサー
平成15年(2003年) 7月 同社 執行役員
平成19年(2007年) 2月 (株)ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ 執行役員専務
            6月 同社 代表取締役 就任 執行役員専務
平成25年(2013年) 6月 同社 代表取締役 執行役員社長
平成26年(2014年) 4月 会社統合により(株)ソニー・ミュージックレーベルズ
            執行役員(乃木坂グループ、ERJ、KMU、SMAR担当)

1. 脳天気でのんびりした少年時代


−−前回ご登場頂いた株式会社LDH 森 雅貴さんとはどのようなご関係でしょうか?

大谷:いわゆるレーベルとプロダクションの関係ですね。LDHさんに所属しているFlowerというE-girlsのメンバーでもあるダンスパフォーマンスグループを弊社でやらせてもらっています。また、その前にはLoveという2人組の女の子を一緒にやっていました。あとは育成中の新人アーティストもいます。

−−森さんと大谷さんは年齢も近いですよね。

大谷:そうですね。仕事に関わらないところでも気さくにお付き合いさせて頂いてます。飲み会とかご一緒することが多いですね。

−−大谷さんからご覧になって、森さんはどのような方だと思われていますか?

大谷:森さんはとにかく真っ直ぐな人ですね。当たり前の正しいことを正しくやろうとする人だなと思います。森さんは副社長ですが、部下がやれない部分を自分でカバーしようとしているところなんかは素晴らしいですし、自分も見習わないとなと思います。

−−森さんは良い意味でフットワークが軽やかそうですよね。

大谷:そうですね。そして、とにかく熱い人ですね。

−−LDHはすごくいい感じの会社でした。

大谷:活気があって、熱い人達が多い会社ですよね。非常に楽しく仕事させてもらっています。

−−森さんは、熱い想いをダイレクトに伝えていくために、仕事をする方と直接話をするように心掛けているとおっしゃっていました。

大谷:当然ビジネスなので、利害が発生する関係においては駆け引きみたいなことが起こりうると思うんですが、我々の業界には「今損しても後で得しようよ」って考える人がどちらかというと多いと思います。森さんもそういうタイプの方だと思います。

−−ここからは大谷さんについてお伺いしたいのですが、ご出身はどちらですか?

大谷:香川県高松市です。そこで18歳まで過ごしました。

−−音楽と接点があるようなご家庭だったんでしょうか?

大谷:ごく普通の家庭ですよ。両親は共働きだったので、よく祖父母の家に預けられていたんですが、祖父が宮大工をやっていて、子どもの頃に仕事現場をずっと見ていたので、僕はどちらかというと図画・工作や美術の方が得意でした。音楽業界なんで楽器やれるとか言いたいですが、歌も上手くないですし、楽器は何も出来ないです。

−−ごくごく普通の少年時代だったと。

大谷:少年時代は、脳天気でのんびりしてましたね。その時代とか香川の風土とかあるのかな。まわりの友達も同じで、日が暮れても家に帰らずに遊び歩いて。僕は剣道を習っていたんですが、稽古に行かず遊び呆けて叱られたり(笑)。今も変わらないですけど(笑)。

−−(笑)。音楽との出会いはいつですか?

大谷:確か小学4、5年生くらいの頃、家でステレオを買ったときに、お店で値引きの代わりにレコードをくれるというサービスがあって、それでレコードを5枚もらったんですが、それが全部ビートルズでした。「ラバー・ソウル」や「サージェント・ペパーズ」とか。

−−そこでビートルズと出会ったと。

大谷:ステレオが珍しくて使いたかったので、延々とビートルズを聴いていましたね。それが言うなれば音楽を積極的に聴くようになったきっかけでした。あとは沢田研二さんとか寺尾聰さんとか当時の流行歌を聴いていました。そういう音楽をかっこいいと思うような少年でしたね。

それで中学に入学する頃に、仲間内でRCサクセションが流行って、そこからロックンロールでチャック・ベリーに傾倒し、合わせてロカビリーが好きになったところで、パンクが好きになってイギリス音楽の虜になった感じですね。当時はまだレンタルレコードもなかったので、友達とテープの貸し借りをしていました。

−−ちなみに勉強の方は?

大谷:勉強はそんなにやってないです(笑)。進学に対する野望みたいなものがないまま「入れそうな学校に入ろう」みたいな感じで、高松第一高等学校というところに入学したんです。当時の高松一高は夏休みが一週間くらい長くて。その誘惑に負けて・・・(笑)。今は後輩に頑張っていただいて偏差値レベルが相当上がっているようです。

−−それは公立の学校ですよね。

大谷:はい。市立なんですが、ちょっと変わった高校で音楽科があったんです。当時は知る由もなかったですが、ヴァイオリニストの川井郁子さんとは同級生でした。

−−大谷さんは音楽科に入ったんですか?

大谷:いえ、とんでもないです。音楽はずっと2でしたから(笑)。音楽科は普通科と校舎が全く別棟にあって、完全防音で授業も全く被らないですし、みんな延々と音楽をやっているみたいでした。そして、2年生からは美術専門のクラスもあって。

−−そういう人に対する憧れみたいなものはありました?

大谷:いや、そんなになかったですね。軽音楽部とかの友達もいたんですが、僕は音痴ですし、音楽は聴く方専門でした。