第131回 遠藤 ミチロウ 氏 ロックミュージシャン

遠藤 ミチロウ 氏
ロックミュージシャン
遠藤 ミチロウ 氏
 今回の「Musicman's RELAY」は大友良英さんからのご紹介で、ロックミュージシャン 遠藤ミチロウさんのご登場です。日本のロックシーンに衝撃を与えた伝説のパンクバンド、ザ・スターリンの中心人物として82年 アルバム『STOP JAP』にてメジャーデビューした遠藤さんは、過激なライブパフォーマンスとともに、その強烈な存在感とカリスマ性で圧倒的な支持を集めます。バンド解散後はソロアーティストとしてアコースティックギターを抱え、全国各地を精力的にツアー。東日本大震災以降、大友良英さんらと「プロジェクトFUKUSHIMA!」を発足させ、復興支援に尽力されました。今年4月には10年ぶりにソロアルバム「FUKUSHIMA」と詩集「膠原病院」をリリースされた遠藤さんにじっくりお話を伺いました。
(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦)
プロフィール
遠藤 ミチロウ(えんどう・みちろう)
ロックミュージシャン

1950年11月15日生まれ。福島県二本松市出身。学生時代よりイベントを企画し始め、大学卒業後、東南アジアを放浪。帰国後バンド活動をスタートし、ザ・スターリンの中心人物として82年にアルバム『STOP JAP』にてメジャーデビュー。過激なステージが話題となった。ザ・スターリン解散はソロプロジェクトを開始。数々のミュージシャンと共演し、多くの作品を残している。東日本大震災以降、大友良英らと「プロジェクトFUKUSHIMA!」を発足させた。

1. 「FUKUSHIMA」という言葉をプラスのイメージに変える


−−前回ご出演いただきました大友良英さんと深く関わられるようになったのはやはり「プロジェクトFUKUSHIMA!」からですか?

遠藤:そうですね。震災の年に一緒にやることになってからですね。最初はNPOとかそういうことではなくて、被災した福島を見て、何かやらずにいられなかったんですね。そのとき、誰に声をかけようかなと思ったときに、当然福島出身だったり、福島にゆかりのあるミュージシャンに声をかけようと思って、真っ先に浮かんだのが大友さんでした。

−−「プロジェクトFUKUSHIMA!」には若いミュージシャンもたくさん集まりましたよね。

遠藤:集まってくれましたね。震災直後はみんなボランティア的に援助したり、手伝うことしかできなかったんです。そうじゃないことというか、特に福島の場合は津波の被害だけじゃなくて、原発の問題もあって「これからどうなっちゃうんだろう」というような状況で、メディアから色んなニュースが流れてくるんですが、そこに住んでいる人がどういう思いで、どういう生活しているかは見えてこないんですよね。だからそれを福島から発信したいなと。それはどうやったらできるだろう? と大友さんと考えて、福島でフェスティバルをやろうと決めました。

ただ、僕も大友さんも東京に住んでいるので、福島に住んでいる人と一緒にやらなくては意味がない。そうしたら福島に住んでいる和合亮一さんという詩人の方が、震災からTwitterで詩をツイートしていて、話題になっていたんですよね。僕たちもその詩を読んでいて、「福島にいる」ということがリアルに伝わってきたんです。それで大友さんが福島に行って和合さんに会って、フェスのことを話したら、実は最初ちょっと否定的だったんですよ。「今はできないんじゃないか?」って。そうしたら、その話をしていた居酒屋の親父さんが、「今、福島は元気ないからぜひやってくれ!」みたいな感じだったので、「じゃあやろうか」と(笑)。それが2011年4月ですね。だから立ち上げて4ヶ月後には福島で野外イベントやったんですが、とにかく大変でしたね。

−−ただ気持ちだけでやり遂げた感じでしょうか。

遠藤:そうですね。最初の資金は言い出した僕と大友さんが出さないといけなかったし(笑)。

−−その後も「プロジェクトFUKUSHIMA!」は継続して開催されていますね。

遠藤:1回きりじゃなくて、続けていこうということで、次の年にはNPO法人を立ち上げて、今年が4年目です。この趣旨というのが、経済的な支援じゃなくて、震災以降、福島という言葉がカタカナだったりアルファベットだったりして、広島と同じになっちゃったんですよね。広島がカタカナとかアルファベットになると、「NO MORE HIROSHIMA」のように原爆の象徴みたいになっちゃう。震災直後も特にヨーロッパあたりで「NO MORE FUKUSHIMA」みたいになったんですよ。

だから、福島という言葉が原発事故そのものみたいになって、マイナスイメージで有名になっちゃった。福島に住んでいる人の心も「福島」という言葉にマイナスのイメージを持っちゃって自信をなくしていたから、それをプラスに変えたかったんです。例えば、HIROSHIMAと言ったときに、核廃棄の象徴になれば、希望のある言葉になるじゃないですか。FUKUSHIMAという言葉が放射能に打ち勝ったというプラスの言葉になれば、そこに住んでいる人にとっても自信になると思うんですよ。ですから、福島から震災後に新しい文化が生まれて、それが新しい未来に向かっていく一つのきっかけになるようなことをみんなでやりたいなと思っています。

−−福島に帰る頻度がすごく増えたんじゃないですか?

遠藤:増えましたね。5年に1回くらいしか帰らなかったのが、毎月帰るようになったりとか(笑)。2年目は色々試行錯誤だったんですけど、「プロジェクトFUKUSHIMA!」のイベントだけじゃなくて、自分でも色々試みたんです。その中で、浪江町という放射能の汚染が特にひどかった街があるんですが、その浪江町は僕の実家の二本松市の隣町で、浪江町の人たちがたくさん二本松に避難してきていて、二本松には仮設住宅がいっぱいあるんですよ。僕はその仮設でも歌ったんですけど、主催してくれた浪江町の若い子たちと話したら、二本松の安達運動場の仮設は広くて体育館もあると。その体育館を使って何かやれないかなと、2012年の2回目の「プロジェクトFUKUSHIMA!」をやった2日後に「浪江音楽祭」というイベントをやったんです。

それはアコースティックコンサートだったんですが、僕と浪江町の若い人たちが主催で遠藤賢司さんやカルメン・マキさんに出演していただきました。それと、仮設の人たちが「盆踊りをやってほしい」と言うので(笑)、盆踊りとのど自慢大会、民謡大会をやりました。原田直之さんという浪江町出身の有名な民謡歌手に来ていただいて、僕と原田さんでのど自慢大会の審査員をやったり(笑)。みなさん僕なんかより上手いんですよ(笑)。そのときにやった盆踊りが、みんななんだかしんみりと踊っているんですよね。故郷にいつ帰れるかわからない、帰れるかもわからない。でも盆踊りをやると、いつもの夏祭りの光景が浮かんでくるのか、黙々と踊るんです。それを見て、悲しいような苦しいような、でも感動的な、なんとも複雑な気持ちになりました。

それで、その次の年、3回目のフェスティバルで何をやろうかというときに、盆踊りを提案したんです。そしたらみんなに反対されて(笑)。僕は浪江町の盆踊りを見たときに、盆踊りがそこに住んでいる人たちの支えになっていると思いましたし、普通、盆踊りってお年寄りと子供しか参加しないんでしょうけど、若い人たちも参加したくなるような新しい盆踊りをやろう、みたいな提案をしました。

−−説得できたんですか?

遠藤:ええ。いろいろ話し合ってるうちにだんだんみんなその気になって(笑)。新しい盆踊りにするためには新しい盆踊りの歌を作ろうということで、みんなで「ええじゃないか音頭」を作りました。作曲を大友さんにやってもらって、歌詞はプロジェクトのメンバーがそれぞれ出したものをまとめて、ボーカルは僕と長見順さん。それが一昨年なんですが、思った以上に成功したんですよ。人も集まったし、色んな盛り上がりがありましたね。