第136回 永田 友純 氏 (株)ホットスタッフ・プロモーション 代表執行役員 会長兼社長

永田 友純
(株)ホットスタッフ・プロモーション 代表執行役員 会長兼社長
永田 友純 氏 (株)ホットスタッフ・プロモーション 代表執行役員 会長兼社長
 今回の「Musicman's RELAY」は音楽評論家 平山雄一さんからのご紹介で、(株)ホットスタッフ・プロモーション 代表執行役員 会長兼社長 永田友純さんのご登場です。興行師のパイオニアである父・永田貞雄氏の息子として、興行の世界に囲まれて育った永田さんは、ロック・ファッションに興味を持ち、アパレル業界を経て、日本のロック・コンサートのプロモートを中心とした(株)ホットスタッフ・プロモーションを設立。以後、ロックが市民権を得るために邁進されます。また、現コンサートプロモーターズ協会設立時から携われ、日本のコンサート事業の発展にも貢献されてきた永田さんに、ご自身の生い立ちから、今後のライブビジネスのお話までじっくり伺いました。
2016年3月17日 掲載
(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦)
プロフィール
永田 友純(ながた・ともずみ)
(株)ホットスタッフ・プロモーション 代表執行役員 会長兼社長

1955年 東京・浅草生まれ
1972年 成城学園高校 自主退学
1972年 (有)グラス 入社
1974年 (株)アイエス 入社
1976年 (株)日新プロダクション 入社
1978年 (有)ホットスタッフ・プロモーション 設立 [現在の名称は、(株)ホットスタッフ・プロモーション]
2000年 ACPC(社団法人 全国コンサートツアー事業者協会)会長 就任 [現在、ACPCは、一般社団法人コンサートプロモーターズ協会に名称変更]
2003年 (財)音楽産業・文化振興財団 理事 就任
2007年 (社)全国コンサートツアー事業者協会 会長 退任
2007年 (財)音楽産業・文化振興財団 理事 退任

1. 興行師の家庭に生まれて


−− 前回ご登場いただいた平山雄一さんとはどちらで知り合われたんですか?

永田:平山さんは雑誌『プレイヤー』のライターをしていて、ライブをよく観に来ていたので、そういった会場で知り合いました。仕事としては、ARBのライブに色々なキャッチコピーを付けて、後楽園ホールとLOFT、武道館と3日間続けてライブをやったんですが、そのコピーを平山さんに付けてもらっていました。あと、BARBEE BOYSの渋谷公会堂のときに「下心は武道館」というタイトルを付けてもらったりもしましたね。

−− コピーライターのようですね。

永田:そうですね。あと、大澤誉志幸くんがエピックからデビューして、「荒ぶる」というタイトルを付けてイベントをやったり。そんなことをしているうちに、マネージメントをしてほしいということで、現在、FM COCOLO / FM802のプロデューサーしている古賀くん(古賀正恭さん)を連れてきて、ホットスタッフで「ホワイト」という別会社を作って一緒にやったりもしました。それは10年ぐらいやったのかな。今でも平山さんとは新人のイベントの仕事を定期的にやっています。

−− ここからは永田さんご自身についてお伺いしたいのですが、東京の浅草の生まれで、お父様が興行師の永田貞雄さんだそうですね。永田家はどのようなご家庭だったんですか?

永田:父は九州出身で、僕が生まれたときはすでに浅草でしたが、それまでは転々としたみたいですね。父は元祖じゃないですけど興行師のはしりみたいな人で、美空ひばりさんの興行に僕も一緒に行ったりとか、ひばりさんはワインがお好きだったので、楽屋に持っていくときに一緒に行ったり、三橋美智也さんの興行では、麻雀をやっている横でずっと待たされたり、三波春夫さんの楽屋で寝ていたり(笑)、そんな環境で育ちました。

−− 跡取りとして英才教育を受けていたんですね。

永田:いや、英才教育というわけではないんですが、小学校5年くらいのときから会社と自宅が一緒だったんですね。ですから中学3年くらいまで、表参道のど真ん中に住んでいました。そこには社員の方も出入りするし、当時所属していた天童よしみさんがいたり、そんな感じの家庭でしたね。

−− 力道山もご自宅に出入りしていたそうですね。

永田:力道山に抱えられた写真もありますし、よく出入りされていて、大変可愛がってもらいました。僕を抱いたまま階段から落ちて、僕をかばったときにできた傷を見せられて、「そのときの傷だ」と教えてもらったりね(笑)。やはり、普通の家庭とはちょっと違いますよね。

−− まさに今の職業の原点はご家庭だったんですね。ご自分のお家が普通とは違うということはすでに意識なさっていましたか?

永田:普通のお父さんは朝、会社へ行って、家にはいないわけですよね。でも、うちは延々いるわけですよ。そもそも仕事をする時間帯が遅いですし、コンサートも産業になっている時代じゃないですから、好きなときに起きてという感じで。父は浴衣でずっと過ごしていましたしね。

−− お父様によく遊んでもらっていたんですか?

永田:いや、仕事以外は全く興味がない父親でした。お正月はお相撲さんとか、プロレスラーの方がよくお見えになりましたよね。

−− そのときからすでに興行に興味をお持ちだったんですか?

永田:当時は興味というか、何の気なくついていった感じですね。中学のときから父の会社でアルバイトをしていて、当時、浪曲大会とか二葉百合子さんの興行を手伝ったり、その流れでピンキーとキラーズのボーヤなんかをやったりしていました。