第139回 須藤 晃 氏 音楽プロデューサー

須藤 晃
音楽プロデューサー
須藤 晃 氏 音楽プロデューサー
 今回の「Musicman's RELAY」はグラフィック・デザイナー 田島照久さんからのご紹介で、音楽プロデューサー須藤 晃さんのご登場です。石川啄木に憧れる文学青年として富山で過ごした須藤さんは、東京大学への入学を機に上京。大学在学中には渡米し、ニューヨークのソーホーで生活をしながら、大きな刺激を受けます。1977年、CBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)入社後は、プロデューサー&ディレクターとして尾崎豊、矢沢永吉、浜田省吾、村下孝蔵、橘いずみ、玉置浩二らを担当。現在も精力的にプロデュースワークを続けられています。そんな須藤さんに生い立ちやキャリアのお話から、尾崎豊との日々までお話を伺いました。
2016年7月12日 掲載
(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦)
プロフィール
須藤 晃(すどう・あきら)
音楽プロデューサー

1952年8月6日 富山県生まれ
1977年東京大学英米文学科卒業後、CBSソニー(現SME)入社
1996年より(株)カリントファクトリー主宰
尾崎豊、浜田省吾、村下孝蔵、玉置浩二、トータス松本、馬場俊英らと音楽制作のパートナーとして数々の名曲を発表。
言葉(歌詞)にこだわったプロデューススタイルでメッセージ性の強い作品を生み出し続けている。

1. 優秀な兄に影響されて勉強熱心な少年に


−− 前回、ご登場頂いた田島照久さんとはいつ頃出会われたんですか?

須藤:僕は1976年に大学を卒業して、CBSソニーに入ったんですね。それで高久光雄さん(元ドリーミュージック 代表取締役社長)の下に制作アシスタントで就いたんです。高久さんは南佳孝さん、矢沢永吉さんとか当時のCBSソニーで唯一ロックっぽいものをやっているディレクターで、高久さんが一緒に仕事をしていたハウスデザイナーが田島照久さんだったんです。僕はアシスタントなので連絡係みたいなこともやっていたんですが、デザインの仕事にも興味があったので、田島さんと個人的にも話すようになったんです。それで自分がディレクターになって、浜田省吾や尾崎豊をやるようになったときに、田島さんにデザインを依頼するようになりました。

−− ウマが合ったんですか?

須藤:そうですね。田島さんは寡黙な感じの人なんですけど、やはりアートの匂いがもの凄くする人で、偏屈というか頑固な感じもしていて、僕はその人柄みたいなものに凄く惹かれたんですよね。

−− 田島さんとの仕事はどのように進められるんですか?

須藤:僕はデザインの仕事はデザイナーに全部任せるし、音響のことだったらエンジニアに全部任せるんですね。例えば、スタジオへ行って、音がどうだとかそういうことを全く言わないタイプなんです。要するに専門職の人に任せてしまうという。

ですから田島さんにも「こういうことをやりたいんだけど、あとお願いします」みたいな感じですね。後々「須藤君のそのやり方は凄くやりやすかった」って言ってもらえましたけどね。自分はこういう想いでこのアーティストをやっていると話して、「あとは自由につくってくださいよ」と。それで彼は常に期待を上回るようなものを作ってくれました。

−− お互い尊敬する間柄ということですね。

須藤:彼が僕のことを尊敬しているかは分からないですけど(笑)、よく一緒に仕事をしています。彼はデザイナーなんですが、ちょっと僕と似ているなと思ったのは、結局写真も自分で撮り出したじゃないですか。普通、デザイナーというのは自分のやりやすいカメラマンと組むわけですが、彼は写真も自分で撮り出して、とにかく自分の中で全部やるというね。で、僕のプロデュース・スタイルというのは…あんまり人を信用しないっていうか(笑)、全部自分の思うようにやるタイプなんですね。だからそういう部分が似ていたのかもしれないですね。

−− 田島さんはカメラマンに気をつかって色々こういう風に撮って欲しいって伝えるのが面倒くさいから結局自分で撮り始めたって仰ってました(笑)。

須藤:そうですか…なるほど(笑)。

−− ここからは須藤さんご自身のお話をお伺いしたいのですが、お生まれは富山だそうですね。

須藤:僕は富山県の富山市と高岡市の間にある小杉町という、海にも山にも近い町で生まれて、サラリーマンの父親と主婦の母親、兄弟は3つ上に兄貴がいて、5つ下に妹がいる家庭の次男坊として育ちました。これはMusicman-NETのインタビューということで、あえて音楽的な要素みたいなものを考えてみますと…ほとんどないに等しいですね。

−− (笑)。

須藤:ただ3つ上の兄というのが勉強のできる人だったんですね。それで色々比較されるので、自分も頑張って勉強するようになりました。不思議なことに、兄が先に東京の大学へ進学して、僕が東京に出るまでの間以外は、富山でも東京でもずっと兄と同じ部屋で生活していたんですよね。だから兄の影響は結構受けたんだと思います。ちなみに兄は静岡大学の工学部の教授をやっていたんですが、そういう堅い、というか、非常に頭のいい人だったんです。

家は普通のサラリーマンの家庭ですし、裕福ではなかったんですが、兄が小学校のときにクリスマスプレゼントでいわゆるガットギターみたいのを買ってもらったんですね。それでクラシックの教則本を買って来て『禁じられた遊び』とか、そういう曲を一生懸命練習していたんです。それで兄がいないときにこっそり借りて、僕はベンチャーズとかクラシックじゃないものを弾こうとして、まあ弾けなかったんですが、触ったりしていました。あとレコードは高くて買えないので、兄がソノシートを買ってくるんですね。それは洋楽が主なんですが、日本の歌手が歌っているソノシートでね。

−− カバーバージョンですか?

須藤:カバーバージョンなんですけど、カバーって分かっていなかったですね。それを兄が小さなステレオで聞いていて、これも兄がいないときにこっそり聴いていました。父親はSP盤でラテンとかタンゴとかダンス曲を何枚も持っていて、そういう音楽を聴いていましたね。

−− 須藤さんが初めて買われたレコードは何ですか?

須藤:初めて買ったレコードは多分ビートルズの4曲入りのレコードか、加山雄三さんの「夜空の星」とかが入っている4曲入りだと思います。あんまり大きい音でかけられないので、小さな音で何回も何回もかけて、手元にあるギターでちょっと音拾ったり、「ギターが弾けたらいいなぁ」なんて思ったりしていましたね。本当に恥ずかしいんですけど、全然音楽的な環境の中にはいなくて、その程度だったんですよ。