第140回 酒井 政利 氏 音楽プロデューサー

酒井 政利
音楽プロデューサー
酒井 政利 氏 音楽プロデューサー
 今回の「Musicman's RELAY」は須藤 晃さんからのご紹介で、音楽プロデューサー 酒井政利さんのご登場です。和歌山で青春時代を過ごされた酒井さんは立教大学卒業後、映画制作を目指し松竹入社。その後、音楽業界へ転身され日本コロムビア、CBS・ソニー(現 ソニー・ミュージックエンタテインメント)の音楽プロデューサーとして南沙織、郷ひろみ、山口百恵など数多くのアイドルやアーティスト、そして名曲を送り出してきました。現在もメディアを横断してご活躍されている酒井さんに、その輝かしいキャリアや数々のエピソード、そして、ご自身のプロデュース術まで、じっくりお話を伺いました。
2016年8月17日 掲載
(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦)
プロフィール
酒井 政利(さかい・まさとし)
音楽プロデューサー

日本コロムビア、CBS・ソニー(現:株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント)のプロデューサーとして、レコード業界の黄金期を担う。今日まで50年以上のプロデュース活動により、300人余りのアーティストを世に送り出してきた。売上げ累計は約3,500億円にのぼり、「伝説のプロデューサー」の異名をとる。その仕事のフィールドは音楽分野にとどまらず、映画や舞台、TVドラマの企画・制作などにも及ぶ。 (株)ソニー・ミュージックエンタテインメント取締役エグゼクティブプロデューサーを経て、1996年、(株)酒井プロデュースオフィス設立。
一方、心理カウンセラーとしてカウンセリングを行い、TVコメンテーターを務めるなど、芸術・文化・メディアのトータルプロデュースを手掛け、今日に至る。
2005年12月、文化庁より功績が認められ、音楽業界初の文化庁長官表彰を授与される。

1. 池の水面で映像的な思考を養った少年時代


−− 前回ご登場頂いた須藤晃さんとはどのようなご関係なのでしょうか?

酒井:彼はソニー・ミュージックエンタテインメントでの仲間というよりも、触発関係ですよね。彼が何かやると、電気のプラスとマイナスみたいになるんですね。だからすごく刺激を感じたし、それでいてそれほど”なあなあ”の関係にもならなかったですね。どこか異質な世界にいるような、時には同質の世界にドップリいるような。彼もそう思っていたんじゃないかな?

−− 上司と部下という雰囲気でもない?

酒井:上司と部下というよりは、同僚みたいな気分でいました。彼は色の濃い男ですよね。私もどっちかというと色は濃いと思うんですが、だから弾き合うような関係と言いますか、同色にはならないですよね。

−− 須藤さんは今も現役でプロデュースの現場にいらっしゃいますよね。

酒井:彼の感覚は普通ではない天才的ですよね。そして、すごくプロデューサー的なものを「持っている」んだと思います。

−− 今でも時々は会われるんですか?

酒井:ええ。最近は年1、2回会うようになりましたね。会わなきゃ寂しいような感じがします。いるじゃないですか?「常に気になる人」っていうのが。彼はそういう存在ですね。

−− ここからは酒井さんご自身のことを伺いたいんですが、酒井さんは和歌山のご出身で8人兄弟の末っ子だと伺っております。現代からすると大家族ですが、どのようなご家庭だったのでしょうか?

酒井:姉は3人いまして、あとは男ばっかりなんですが、6歳くらいまで男は1人なんだと思っていたんです。兄たちは出兵していたからで、小学校2年か3年のときに戦争が終わるんですが、そうすると兄たちが1人、2人と兵隊から帰ってきたんです。

−− 一番上の兄弟と酒井さんとでは何歳違うのでしょうか?

酒井:20歳くらい離れていました。ですから兄貴が父親代わりみたいなもので、すごく面倒を見てくれました。それで私は世間知らずになってしまったんです。

−− そこまで年が離れていますと可愛がられるでしょうね。

酒井:可愛がられるというか、今でも金銭感覚がダメなんですが、それは当時からずっとつきまとっています。私はよく騙されますよ。でも騙されていることにも気が付かないぐらい、金銭感覚がダメでね(笑)。

−− (笑)。お姉さんたちもお母さんみたいに面倒を見てくださっていたんですか?

酒井:そうですね。でも、そこはやはり母親の力が強かったと思います。だから兄貴が父親役で、母親がいるって感じでした。

−− お兄さんたちは全員ご無事で戦争から帰られたんでしょうか。

酒井:ええ。珍しいんですよね。ご近所では「戻らなかった」なんて話もよく聞きましたけども、とにかく順番に帰ってきまして、「どこに行ってきた人なんだろう?」みたいな対面でした。

−− 幼少期の記憶で印象に残っていることは何ですか?

酒井:これは今まであまり話したことがないんですが、私の家は和歌山有田の保田村というところにあったんですね。そこの一番奥に家がありまして、敷地は300坪くらいで、敷地の上に丘じゃないんですが土手があって、池があるんですね。私はそこによく遊びに行っていたんですが、今から思えばすごい池で、その池が今の仕事に導いてくれたんだと思っています。

−− それは一体どういうことでしょうか?

酒井:その池に遊びに行って、夕方になるまでそこにいると、不思議なものを見たりするんですね。やや霊的なことなのかな? でも現実のことなんです。池には山や風景が逆さに映っていて、それを見ていると、その逆さまの風景からなんか声が聞こえるような気がするんですね。

私は小学校4、5年生の頃まで「映画を観ては駄目だ」と言われていたんですが、うちの姉が嫁いだのが湯浅という町で、そこには映画館があったんです。その頃の映画は3本立てでした。こっそり観たら、ものすごく面白くて映画に夢中になったんですが、池に映る風景も映画のように揺れ動きますから、何となく感じるものがあったんです。恐らく、動くものに惹かれるようになったのは、その池が影響していると思います。風景が逆さに映ったり、波で揺れたりするのを見て「面白いなあ」と。子供心に触れるものがありました。

酒井 政利 氏 音楽プロデューサー
−− はぁ…。

酒井:これも小学校4年生のときだったと思いますが、絵を提出しなければいけないことがあって、普通なら風景を描くのに、池に写っている逆さまの山を描いたんです。池といっても濁っていますから、緑の山が光線が重なってやや紫っぽく映るんですね。「不思議な色だったなあ」と、それを一生懸命描いたわけです。で、提出しましたら、先生が心配になったんでしょうね、母親が呼びだされたのを覚えています。それで「何かあったんじゃないですか?」と。母親もびっくりして「池を描いたんだと思います」みたいなことを言って、それで先生も納得して、県のコンクールに出品されたら特選に選ばれたんです。それで何となく自信がついて、どんどん絵にハマり、中学・高校と美術部にいました。