第144回 藤倉 尚 氏 ユニバーサルミュージック合同会社 社長兼最高経営責任者(CEO)

藤倉 尚
ユニバーサルミュージック合同会社 社長兼最高経営責任者(CEO)
藤倉 尚 氏 ユニバーサルミュージック合同会社 社長兼最高経営責任者(CEO)
 今回の「Musicman's RELAY」は伊東宏晃さんからのご紹介で、ユニバーサルミュージック合同会社 社長兼最高経営責任者(CEO)藤倉 尚さんのご登場です。洋酒メーカーからポリドールへ転職された藤倉さんは、ビーグラム、ポリスター、アンリミテッドレコードと数多くのヒットを生み出したレーベルの現場で奔走。AIや徳永英明のヒットをきっかけにユニバーサルシグマを軌道に乗せ、K-POPブームやカバーアルバムなど新しいジャンルを確立。以後もナオト・インティライミやback number、クリス・ハート、米津玄師など多くの新人アーティストを送り出します。そして、EMIミュージック・ジャパンとの合併後、2014年に若干46歳で社長に就任されました。そんな藤倉さんにご自身のキャリアから、2016年、宇多田ヒカルの復活やRADWIMPSの大ヒットなど、様々な話題を振りまいたユニバーサルミュージックの今後までお話を伺いました。
2017年3月1日 掲載
(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦)
プロフィール
藤倉 尚(ふじくら・なおし)
ユニバーサルミュージック合同会社 社長兼最高経営責任者(CEO)

1967年12月11日生まれ
1991年4月 メルシャン株式会社 入社
1992年4月 ポリドール株式会社 (後にポリグラム株式会社に改名) 入社
1999年4月 マーキュリー・ミュージックエンタテインメント株式会社 (ポリグラム株式会社傘下の制作レーベル)
2000年7月 ユニバーサル ミュージック株式会社 (ポリグラム株式会社より改名)
2007年1月 ユニバーサル シグマ マネージング・ディレクター
2008年4月 執行役員ユニバーサル シグマ マネージング・ディレクター
2011年8月 ユニバーサル ミュージック合同会社 常務兼執行役員 ユニバーサルシグマ マネージング・ディレクター
       兼 NAYUTAWAVE RECORDS マネージング・ディレクター
2012年1月 副社長兼執行役員 邦楽統括 ユニバーサルシグマ マネージング・ディレクター
       兼 NAYUTAWAVE RECORDS マネージング・ディレクター 兼 SMU 統括ディレクター
2014年1月 社長兼最高経営責任者(CEO)

1. 最初は気まずかった伊東宏晃さんとの出会い


−− 前回ご登場頂いた伊東宏晃さんと最初に出会われたのはいつ頃ですか?

藤倉:伊東さんとの最初の出会いは私自身少し気まずかった思い出があります・・・。2007年の終わりくらいに、小室哲哉さんからユニバーサルミュージックに「レーベルをやろう」とお話をいただき、お会いすることになりました。

小室さんはレーベルに関わる色々なアイディアを出されて、その流れで「今度KEIKO(globe)をやってくれない?」というお話をいただきました。話を進めるにあたって、エイベックスさんにこちらからもきちんと話を通した上で、過去の曲も貸していただきたいなと思い、伊東さんに直接お話する機会を伺っていました。しかし、伊東さんやチームの皆さんが一生懸命KEIKOをやっていたときに、人づてに「ユニバーサルの藤倉がやる」と伝わっていたようで、「話を聞いて困惑した」というお話を後日、伊東さんから直接お聞きしました。

伊東さんは音楽に対して情熱を持った方で、お互い波長があったこともあり、その後、色々話していくうちに伊東さんからも「頑張ってね」という感じで応援してくださり、KEIKOさんのアルバムとシングルをユニバーサルからリリースしました。

−− 最初はそんな出会いだったんですね・・・。

藤倉:ええ。そのあとクリス・ハートとの契約をユニバーサルで進めている途中に、伊東さんからも「クリス・ハートが『home』を歌っているのに感動した。ぜひうちでやらせてほしい!」と手が挙がっているという話を聞きました。「これは急いで話を進めないと伊東さんにとられちゃう・・・」と思った記憶があります(笑)。

−− (笑)。

藤倉:Da-iCEや木山裕策をユニバーサルで担当していたり、ありがたいことに伊東さんとはその後もご縁が続いており、引き続き一緒に仕事をさせて頂いています。

−− ここからは藤倉さんご自身のことをお伺いしたいのですが、ご出身はどちらですか?

藤倉:生まれは東京の花小金井ですが、生まれてすぐに父の仕事の関係で千葉の稲毛に引っ越しました。それで小学校3年生くらいまで稲毛にいて、また父の仕事の転勤で、今度は神奈川県の戸塚に引っ越しました。

−− お父様はどのようなお仕事をされていたんですか?

藤倉:セメント会社に勤めていました。小学校5年のときにまた東京の東十条に引っ越しまして、小学生のときに3回転校しています。

−− 首都圏を転々と・・・藤倉さんはどんな少年だったんですか?

藤倉:ひたすら野球に打ち込んでいましたね。リトルリーグでピッチャーとセカンドをやっていました。エースがいて、自分はセカンドとピッチャーを併用という感じでした。順調にいけば野球一直線という感じだったと思います。

−− ちなみに伊東さんも高校まで野球をやっていたとお伺いしました。

藤倉:高校まで野球ができたのは素晴らしいですよ。私の場合、その後転校先の学校の健康診断で「心臓に雑音がある」みたいなことを言われました。大学病院へ精密検査に行き、医者からは「はっきり分からないけど、心臓に不具合があるかもしれないから、激しい運動はやらない方がいい」と言われました。自覚症状もなかったのですが、親から「激しいスポーツはやめて欲しい」と言われ、野球チームは泣く泣く辞めることになりました。ただ、スポーツは大好きだったので、親を言いくるめて卓球、テニス、スキーとか色々やりました。でもあれはなんだったのかっていうくらいそれから何もなくて・・・(笑)。

−− 誤診だったんでしょうか・・・。

藤倉:どうなんでしょうね。でも、そのおかげで音楽との接点ができるきっかけにもなったような気がします。