SPECIAL REPORT & INTERVIEW

優れたマネージメントがアーティストを世界へ導く
【13th TIMM】ビジネスセミナー「Keynote Conversation ~ 今後の日本アーティストの海外展開」丸山茂雄氏×Kaz Utsunomiya氏

【13th TIMM】ビジネスセミナー 丸山茂雄氏×Kaz Utsunomiya 氏
第13回東京国際ミュージック・マーケット(TIMM)ロゴAntinos Management America, Inc. / COO 兼 Executive Produce
Kaz Utsunomiya (写真右)
株式会社247代表取締役 / S.M.Entertainment 顧問
丸山 茂雄 (写真左)

 ロサンゼルスを拠点として活動する音楽プロデューサーのKaz Utsunomiya氏と、ソニー・ミュージックエンタテインメントの元社長であり、現在は(株)247 の代表取締役、またS.M.Entertainment 顧問としても活躍する丸山茂雄氏を迎え、これまでの事例を踏まえつつ、今後の日本のアーティストの海外進出について語りあった。

2016年11月11日掲載

YMOの成功をきっかけに海外進出へ挑戦

対談は丸山氏の「老人が昔話をしているなと思って頂ければ結構」というエクスキューズとともに始まり、「仕事を始めたときアメリカとイギリスの音楽業界で働いていたのは私だけだった」と語るKaz Utsunomiya 氏がそのキャリアを紹介した。

Kaz:私は小・中学校をイギリスで過ごしたんですが、その後、日本の大学へ行き、イギリスに戻り、アルバイトとして「MUSIC LIFE」という雑誌のロンドンレポーターをやりながら、日本とロンドンを行ったり来たりしている間に、渡辺音楽出版の中村さんという当時ロンドンを担当していた方から、「日本に帰るので、代わりにロンドンで出版をやってみないか?」と言われて、渡辺音楽出版のサブパブリッシングを取るような仕事に就きました。私は日本のレコード会社で働いたことがなかったので、文化の違いに戸惑いつつも、たくさんの出版権を取っていきました。

丸山:日本のミュージシャンとして世界に出ていくのが早かったのはYMOです。70年代の終わりから80年代の頭にかけてですね。

ある意味、パラダイムがちょうど変わる時期だったんですよね。日本においてロックはまだたいしたことがなかったんですが、欧米ではロックが成長のピークになり、時流もパンク、ニューウェーブに移りつつある時期に、コンピューターを駆使した新しい音楽が出てきた。

Kaz:そうですね。YMOは、JAPANの連中とかがすごくリスペクトしていて、そういう口コミがミュージシャンの中ですごく早く広まり、それでYMOがイギリスに来たと。そういう意味で一番初めに海外に出て来たのは、YMOだと思います。

丸山:ちょうどその頃、私はEPICレーベルの邦楽の責任者になったんですが、YMOを見て「日本のミュージシャンでも、世界に出て尊敬されることがあるんだ」とそう思い、「世界に出て行くような音楽をやろうぜ」みたいな、そんな感じでスタートしたんです。

同時にロンドンにいたKazと知り合って、Kazからいろんなことを学びながら、向こうにアーティストを持っていくにはどうしたらいいだろう?と考え始めました。そのときに真下孝幸が手掛けたのがMODSと、土屋昌巳の一風堂をバックにした山本翔で、この二組がロンドンの扉を開ける最初のアーティストになったわけです。

Kaz:真下が「MODSの一番初めのデビューアルバムをロンドンで!」と、強引にロンドンに来て、レコーディングしたりしました。あと、一風堂の『すみれSeptember Love』が資生堂のコマーシャルソングになり、「これが絶対にヒットすると思うんだけど、ヒットしているときには絶対に日本にいてはいけない」と(笑)。それで「ロンドンから生中継したいので、お願いします」と言われたりね。結局、一風堂はうちの事務所にしばらくいたんですが、JAPANのマネージャーに交渉して、JAPANの前座にゴリ押しして、それが衛星中継になりました。その後、JAPANのギタリストが骨折したので、急きょ土屋昌巳をJAPANの中に入れて「土屋昌巳がジャパンに入る!」みたいなニュースを作ったりもしました。

丸山:当時は、日本のユーザーに対するプロモーションとして、海外での活躍ぶりをニュースソースとして使う時代だったんですね。まず「海外で活躍している」というニュースを無理やり作り、それを日本に持ち込み、日本でヒットさせると。