連載第67回 宮﨑駿とピクサー。やがてApple〜スティーブ・ジョブズ(19)

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2017/04/12 (水) - 21:30

 

 

 

ジョン・ラセターと宮﨑駿

宮﨑駿とピクサー。やがてApple〜スティーブ・ジョブズ(19)
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 2014年。宮﨑駿がアカデミー名誉賞を受賞した。

 日本人では黒澤明以来の快挙であり、アニメ監督としては史上初となる。

 アカデミー名誉賞は、三大映画祭を超えるアカデミー賞のなかでもさらに特別だ。この賞を得るともう他の賞は授与されなくなる、もしくは貰う意味がなくなるとすら言われている。映画界のノーベル賞といっていいかもしれない。

「アニメ史上、この芸術形式に誰よりも貢献した人物がいます。まずウォルト・ディズニー。そして宮崎駿さんです」

 配給を担当したディズニー社を代表してレッドカーペットの壇上に立ったジョン・ラセターCCO(チーフクリエイティブオフィサー)が献辞を並べるのを、宮﨑駿は白い円卓で、こそばゆそうな笑顔をして聴いていた(※)。

 ふたりには言葉を超えた絆がある。賞嫌いの宮崎がきらびやかなLAの式場に出張ってきたのは、式中、喜びのあまりやたらとハグしてくるこの友人のためだった。

 トイストーリーのラセター監督は宮崎監督を「師匠」と呼び、宮崎はラセターを「恩人であり、無二の友人」と呼ぶ(※)。『千と千尋の神隠し』がディズニー配給となり、「世界の宮崎」が定着したのはラセターの尽力による。

 授賞式のラセターは、世界が師匠を認めて嬉しくてしかたなかった。

 今ではすっかり恰幅のよくなったラセターだが、初めて会ったときはスリムだったと宮崎は言う。彼も白髪ではなく、髭は剃っていた。

 ’81年のことだった。

 第二次ベビーブームも遠くなり、少子化に入った日本。アニメ業界は音楽業界に先駆けて、やがてくる国内市場の衰退に直面。本場アメリカへの挑戦に出ることになった。

 日米合作の大作アニメ『ニモ』(※ 主人公は人)。その監督をまかされたのがまだ髪も黒く髭も剃っていた宮﨑駿だ。彼らはアメリカ視察の一環でディズニー社にやってきた。そのとき、まだ若く痩せていたラセターもディズニーを馘首になってなかったのである。

 鉄腕アトムの好きなラセターは、日本から来たこのアニメ監督に興味津々だった。宮崎が挨拶代わりに置いていった『ルパン三世 カリオストロの城』を、彼はさっそく観た。

 そして冒頭から衝撃を受けた。

 うららかな緑の丘で、パンクしたフィアットを次元がジャッキアップしている。雲が影を落とし鳶が舞うなか、ルパンが「平和だねえ」と言いタバコを吹かす。

 それはハリウッドでは、ありえないシーンだった。

 静かなシーンがあるとプロデューサーから「客がポップポーンを買いに行っちまうぞ!」と試写会で叱られる。それがラセターのいるアメリカの常識だったのだ。

 だがこの静けさが、続くクラリス姫のカーチェイスを活かしている。のみならず静けさ自体が、何かを表しているような…時を祝福しているような感覚にラセターは襲われたのだった(※)。

※ ジブリ『ありがとうラセターさん』

 能を大成した世阿弥は「せぬ暇(ひま)がおもしろき」と言った。動きは種で、こころが花だと。動きのない間(ま)の余韻に、目に見えぬ何かが花開く。禅の「無」に通じる日本文化の基調だ。禅や能を知らずとも、宮崎のテクニックを「間(ま)を置くというやつだ」とすぐ説明できるのは我々が日本人だからだろう。

 衝撃は冒頭のみにとどまらなかった。『カリオストロ』を見終えた時、感動と悔しさとがないまぜになってラセターを締めつけた。

「な?な?俺の言ったとおりだったろう?大人だって楽しめるアニメは創れるんだ!」(※)。

 彼は会社中を走り回って、そう叫びたかった。宮崎アニメは、ラセターの理想を先に実現していたのである。それがディズニー社でみつけた希望の方だった。

 作家性。

 大人をも魅せるには、めくるめくエンタメの隙間に見え隠れする作家性の深さがものをいう。結果、子供市場に閉じこもっていたアニメ産業は、大人も相手に一気に市場拡大できる。それこそ、停滞したアメリカのアニメ産業に必要なイノヴェーションだった。

 経済学者シュンペーターの言うとおりだった(連載62回)。経済的動機ではない。宮崎のものづくりの欲求が、世界に先駆けその革新を実現していた。

 日本に行きたい。ラセターはそう思った。


ラセターの日本旅行

 ‘87年。武蔵野のアカシデの森に秋風が舞う頃、ラセターは中央線に乗っていた。宮崎アニメに衝撃を受けてから6年が経っていた。彼はもうディズニー社の社員ではない。ジョブズのピクサー社に転職していた。

 革命的だった短編『ルクソーJr.』の3D映像が日本にも衝撃を与えたので、彼は来日できたのだ。招待されたカンファレンスで『カリオストロの城』が大好きだと話したら、じゃあジブリへ行ってみないかとある人が言ってくれた。

 中央線で吉祥寺へ向かっているのはそういう訳だった。

その頃、ラセターはある女性に一目惚れした。悩んだ彼は、アパートで『カリオストロの城』を見せてみた。彼女はラセターと全く同じ風に感動したのでプロポーズし、結婚した。すでに宮崎駿は彼の人生に影響を与えつつあった。

 スタジオに着くと、宮﨑監督が待っていた。『トトロ』の製作で忙しい中、彼みずからスタジオの案内を買ってくれたのだ。

 実はむかしアメリカで会ったとき、宮崎はラセターのことを気に留めてなかった。だが、『ルクソーJr.』の出来はCG嫌いで鳴らす宮崎をも唸らせた。たった2分の作品に、若きストーリーテリングの才が輝いていた。

 『トトロ』の製作現場にラセターは圧倒された。

 壁にはずらりと、ストーリーボードが貼ってある。どれも宮崎の筆致だ。ぜんぶひとりで考えるのですかと尋ねると、さも当然のように宮崎はうなづいた。

 天才だ、とラセターは思った。ディズニーではおとぎ話を元に、脚本家のチームが話し合ってストーリーを練り上げていくのがふつうだったからだ。

 もっとも驚いたのは、宮崎がネコバスの絵を見せたときだった。猫がバス?バスが猫?どうしたらこんな発想が出てくるのか!? 眼を白黒させるラセターに宮崎がにやりと笑った。その笑顔はネコバスそっくりだったという(※1)。

 この日ふたりの友情が始まる。それが15年後、宮崎作品のディズニー配給へ連なり、宮崎を映画界最高のレッドカーペットに導くとはふたりは知る由もない。

 日本では、もうひとつ大切な出会いが待っていた。

 横浜元町にアメリカ山という小高い丘がある。幕末、ペリーと共に来て、日米和親条約を起草したポートマン書記が住んでいたので、その名がついた。

 東横線でやってきたラセターはそのアメリカ山を登った。たどり着いたのが白木に緑の屋根の、おもちゃ博物館だった。海と港を愛する館長の北原照久は、ブリキのおもちゃの世界的なコレクターだ。

 ラセターはむかしからタカラ・トミーのぜんまいじかけのおもちゃを集めていた。空想好きの彼には時々おもちゃたちの会話が聞こえたが、そのうち気づいた。これで作品ができるのではないか…

 資料を集めだすと、日本のブリキのおもちゃを集めた写真集に強く惹かれた。とてもレトロでいい。それが北原のコレクションだった。どうしてもこの眼で見たいと思っていた。それが日本に来たかったもう一つの理由だった。

 おもちゃ博物館で、ブリキのおもちゃに囲まれたラセターはため息をついた。そして振り返り、柔和に微笑む北原館長に言った(※2)。

「おもちゃがまるで生きているみたいだ…」

 そのとき、後に『トイ・ストーリー』の原型となる短編のイメージが、彼のなかで蠢き出したのである。ピクサーに帰った彼は、さっそくCGアニメ制作部門の5人を集め、ブレストを繰り返しストーリーを練り上げていった。

 このアイデアが天から降ってこなかったのなら、ジョブズの復活はあったか。iPhoneの登場はあったか。そしてiPhoneなくして、Spotifyのような音楽産業の復活につながるビジネスモデルは無かったかもしれない。

 だがその頃ジョブズは、ラセターらを解雇しようと考えていた。

※1 http://ghibli.jpn.org/report/tiff-lassetr-1/
※2 https://www.facebook.com/toys.kitahara/photos/a.184441771723818.1073741828.184070518427610/267671296734198/



 

 

 

 

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●次回は<2017年4月19日>更新予定!
【連載第68回「ジョブズの師、知野弘文〜スティーブ・ジョブズ(20)」】


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著者プロフィール
榎本 幹朗(えのもと・みきろう)

 榎本幹朗

 


 

1974年、東京都生まれ。上智大学英文科出身。大学在学中から映像、音楽、ウェブ制作の仕事を始める。2000年、スペースシャワーネットワークの子会社ビートリップに入社し、放送とウェブに同時送信する音楽番組の編成・制作ディレクターに。ストリーミングの専門家となる。2003年、ぴあに入社。同社モバイル・メディア事業の運営を経て現在は独立。作家活動とともに、音楽メディア・音楽配信・音楽ハードの戦略策定やサービス設計を専門とするコンサルタントとして活動中。京都精華大学非常勤講師。東京都、自由が丘在住。本連載を書籍化した全六巻の大作「未来は音楽が連れてくる」( http://otocoto.jp/otobon/mirai.html )の刊行が始まっている。
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